「最近、東京への人の移動が再び活発になってきたという話を聞いたが」。神田のご隠居、古石鉄之介が探偵事務所で疑問をぶつけた。「東京の魅力が高まっているからでしょうか?」。興味を持った探偵の深津明日香が早速、調査に出た。
明日香が総務省の統計を調べたところ、2013年に東京圏に引っ越した人数から転出した人数を引いた「転入超過数」は約9万7千人。東京圏への転入超過は、東日本大震災が起きた11年、12年も6万人台を維持し、18年連続となっていた。これに対し大阪圏と名古屋圏では13年にそれぞれ約7千人、約150人の超過にとどまっていた。
第一生命経済研究所の首席エコノミスト、嶌峰義清さん(47)に聞くと「地方の少子高齢化が著しく、仕事を求める人が東京圏に移動するという構造的な理由があります」と指摘。震災の影響で転入超過のペースは鈍っていたが「アベノミクスによる株高を背景に個人消費が主導して景気が回復し、商業圏に人口が流入しました」と嶌峰さん。
過去も調べようと、明日香は国土交通省を訪ねた。国土政策局計画官の酒巻哲朗さん(49)は「大都市圏への人口流入は高度成長期に加速し、国は工場や大学の立地を制限するなど『国土の均衡ある発展』を目指しました」と話した。一時、大都市圏への流入は落ち着いたものの、東京圏では1980年代のバブル期に人口が再び集中。バブル崩壊後、転出超過になると「国は規制を緩め、企業や大学の都心回帰を進めました」。
酒巻さんは、1人あたり県民所得でみた「ジニ係数」のグラフを明日香に見せた。ジニ係数は経済格差が広がると上昇する。ジニ係数が上昇している時は「長期的には仕事や高い所得を求めて、大都市圏への人口流入が増える傾向にあります」と指摘した。
実際、バブル期や08年のリーマン・ショック前はジニ係数が上昇し、東京圏への人口流入も加速していた。酒巻さんは「最近の流入も格差の拡大を表しているかもしれませんが、人口移動がさらに格差を広げて人の移動を促す面もあり、東京圏への人の流入は止まりません」と強調した。
明日香が事務所に戻って中間報告をすると、所長が「それにしても東京一極集中にはどんな問題があるんだ? 昔と違う弊害があるかもしれんぞ」と宿題を出した。
■女性働きづらい環境に
そこで経済産業研究所副所長の森川正之さん(54)に尋ねると「人口が過度に集中すると問題が出てきます」と説明した。例えば神奈川県や千葉県など都市部周辺では25~44歳の女性の労働力率が相対的に低い。「出産後、子どもを保育園などに預けて働く人には長い通勤時間は障害です」。地域の保育園では送り迎えが間に合わず、勤務先に託児所があっても子どもと通勤するのは難しく、結局退職していくという。
人々の働き方に詳しい東レ経営研究所の渥美由喜さん(46)にも聞くと、「同じ企業内でも、社員の勤務地によって産む子どもの数は都市部と地方で明らかに差があります」と指摘した。人口集中は待機児童問題をさらに深刻化させ、都心に住む女性も仕事を辞めていく可能性が高い。
「これからは東京も高齢化が問題となりますよ」と話すのは、元総務相で野村総合研究所顧問を務める増田寛也さん(62)。「若年世代の人口流入は多いが、出生率が低い中では高齢者の割合は急速に上がってしまいます」
国交省の試算では、東京圏の高齢者比率(65歳以上)は、10年の20.5%から60年に40.0%まで上昇する。増田さんは「介護など社会福祉分野の人材をどう確保するかが課題です」と指摘し、さらに「首都直下地震の危険があり、人口集中で災害への弱さも増します」と話した。
ミュンヘン再保険会社の「自然災害リスク指数」はニューヨーク(42)、ロンドン(30)などに比べて、東京・横浜は710と突出して高い。同指数の高さは大震災で首都が被災し、日本全体が機能しなくなるリスクが高いことを意味している。
「今後も東京への人口集中が続くのかしら」。三菱UFJリサーチ&コンサルティング研究員の木下祐輔さん(30)に尋ねると「東京は人口、政治、金融など様々な面で、世界でも例を見ないほど集中が進んでいるのです。20年の東京五輪に向けて加速する可能性もあります」と答えた。
人口集積は人やモノの移動・輸送効率を高め、生産性向上につながる。ところが海外と比べると東京の生産性は低い。英プライスウォーターハウスクーパースの「世界の都市力比較」で東京の経済の実力は27カ国中10位。そのうち生産性は11位。地価や物価の高さが集積効果を発揮できていない理由とされる。
■機能分散 滞る国、進む企業
「そもそも首都機能の移転・分散は可能なの?」。明日香が東京都知事本局の担当者に聞くと「分散すれば経済活動の効率が悪くなります。費用も莫大で、国全体にもマイナスです」と反対した。
政府は99年、国土庁(現国交省)の審議会が首都の移転候補地として「栃木・福島」「岐阜・愛知」など3地域を選んだが、03年の国会の特別委員会は移転はすべきとしつつも、候補地を1つに絞り込めなかった。作業は停滞している。
明日香は、首都圏が被災した時にバックアップ機能を担う拠点を関西に置くよう提言した大阪の関西経済連合会を訪ねた。地域連携部長の神田彰さん(49)は「複眼型の国土を目指すべきだと政府に提言しました」と話した。
国とは対照的に、多くの企業が自然災害に備え地方分散を始めている。明日香は11月に札幌本社を設立するアクサ生命保険を訪ねた。危機管理・事業継続部門長の小笠原隆裕さん(44)は「東京との2本社体制とし、札幌はバックアップ機能を担います。東京が被災した時は保険金の支払いなどの業務はすべて札幌が対応し、お客様への影響を最小限にとどめます」と狙いを話した。
「日本はどうなるのかしら」。明日香が疑問を感じていると、日本総合研究所・関西経済研究センター所長の広瀬茂夫さん(54)が「企業などのもうけが東京圏に集中し、地方が補助金などを分けてもらう構図が続くと、日本が成長できなくなる恐れがあります」と指摘した。今後は「東京の負担を軽くするには、地方自らの成長戦略が必要でしょう」と警鐘を鳴らした。
事務所に戻った明日香は「東京一極集中は少しでも良い仕事を求める人々の選択の結果です。でも集中し過ぎると東京と地方の弊害を大きくします」と報告。「うちの事務所も人口密度が高すぎるから広いところに引っ越しましょう」。明日香の提案に所長夫人の円子が「免震ビルが良いわね」と言うと、所長が「もっと狭くなるぞ」と一言。
(松林薫、福士譲、井上円佳)
[日経プラスワン2014年3月29日付]
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