地獄でなぜ悪い
祝祭としての映画作り
「自殺サークル」「紀子の食卓」「冷たい熱帯魚」など21世紀に入って野心作を連発し、海外でも評価の高い園子温監督。1980年代半ばに自主映画作家として登場した人だが、90年代は模索の時期だった。自主映画を撮りながら、街頭パフォーマンスに熱中したり、米国に渡ったり。
そんな90年代に自身が書いた脚本をもとに撮った新作である。いつか35ミリで傑作を撮ろうと夢見る自主映画作家と、娘をスターにするため映画を作るヤクザの組長の共闘。いかにも映画青年的な設定だが、痛快な娯楽作品に仕上がった。
組長(國村隼)は出所が近い妻の夢をかなえるため、娘(二階堂ふみ)の主演映画を作らせていたが、撮影現場から娘が逃走。敵対する組との緊張が高まる中、「非常事態だ。映画班を作る」と宣言する。素人の組員に機材をもたせ、連れ戻した娘を出演させ、自ら映画を撮るのだ。しかも本物の殴りこみを背景に。
その話を聞いた三十前の自主映画作家・平田(長谷川博己)は快哉(かいさい)を叫ぶ。10代から8ミリで本物のけんかを撮ってきた平田は、仲間3人と共に組員たちを訓練。敵対する組長(堤真一)とも話をつけ、殴りこみに同行。ヤクザが日本刀で切り合う中でカメラを回す。
この荒唐無稽な物語を、「仁義なき戦い」の深作欣二にオマージュをささげながらテンポよく見せる。派手な血しぶきも、飛びかう首や腕も、設定が設定だけに、漫画のように無邪気だ。
ここには社会の不条理や時代の不安はない。あるのは、ただ映画を作りたいという欲望だけだ。そんな欲望が次々と人を巻き込む。あたかも祝祭のように。
軽快なアイドルのCMから甘美な血の海まで、次々と展開するイメージが、祭を盛り上げる。映画という表現に備わる祝祭性。それは園の作品世界の底に一貫して流れる基調でもある。2時間10分。
★★★★
(編集委員 古賀重樹)
[日本経済新聞夕刊2013年9月27日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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