2013/9/10

野沢の湯は豊富で、旅館や共同浴場はほぼ全て、お湯を循環させない“源泉かけ流し”だ。「生まれたままの新鮮な湯は老化を防ぐ作用が強いことが研究でも明らかになっています」と森さん。長時間空気に触れたり、消毒用の塩素を入れたりすると、この作用は失われていくという。「温泉の持つ“力量”に応じて浴槽をつくるべきなのです」

章司は資源の有効利用について考えるため、市場と規制の関係に詳しい東京大学教授の柳川範之さんに意見を聞いた。柳川さんは、「経済学で言う“共有地の悲劇”の例ですね」と指摘した。

共同で天然資源を使う場合、自由競争に任せると市場原理がうまく機能しないことがある。例えば複数の漁師が池で漁をする場合、できるだけ利益を上げようと魚を捕る「フリーライダー(ただ乗り)」が発生。個々の漁師にとっては「合理的」な行動だが、結果として資源が枯渇し、みんなが損をする。「温泉の場合、池と違い地下の様子は見えないので、さらに問題が複雑になります」という。

09年にノーベル経済学賞を受賞した故オストロム氏は、こうした場合に公的規制や政府介入がなくても、利用者の共同体が自主ルールで管理している例があると指摘した。「法律より実態に合わせて柔軟にルールを運用できます。くみ上げ過ぎを防ぐには、厳しめに基準を設けるのも一案です」。章司は柳川さんの話を聞きながら、「資源を長く使うには、野沢温泉のように地域の実態にあった形で関係者が話し合って管理する仕組みが必要だな」と思った。

事務所に帰って報告を終えると、所長が「章司君は温泉に入ってリフレッシュしてきたようだし、もう一仕事してもらおうか」。章司は夏バテ気味の三毛猫ミケの頭をなでながら、「無計画に探偵を使うと、体力が消耗して調査に影響が出ますよ」と一言。

(松林薫)

[日経プラスワン2013年9月7日付]