月神 葉室麟著歴史に埋もれた男たちの志

2013/9/2

「春雨じゃ、濡(ぬ)れて参ろう」の名セリフで知られる新国劇「月形半平太」の主人公・月形半平太には、ふたりのモデルがいる。土佐勤王党の領袖だった武市半平太と、福岡藩の尊攘(そんじょう)派志士の月形洗蔵である。しかし武市半平太が有名なのに比べて、月形洗蔵の名前を知る人は少ない。五卿動座の実現や、長州周旋により薩長の和解の道を切り拓(ひら)くという、目覚ましい働きをしたにもかかわらずだ。その理由は、あくまで福岡藩士として地元中心に活動したことと、長く続いた藩主との確執により維新前夜に刑死させられたからであろう。本書は、その洗蔵と、彼の志を継いだ従兄弟(いとこ)の月形潔を主人公にした、感涙の歴史長編だ。

(角川春樹事務所・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 ストーリーの前半は、幕末の激流の中で、月形洗蔵という尊攘派志士が、いかに生き、いかに死んでいったかが綴(つづ)られている。今の時代が夜明け前だと思い、それだからこそ月形一族は、月光となって行く道を照らさねばならないという、洗蔵の志は美しい。だが、藩主との確執により、彼は刑死を迎えることになる。自分がなぜ死ななければならないのかという洗蔵の慟哭(どうこく)は、彼の志を知るだけに、鋭く胸に突き刺さるのだ。

 これだけでも読みごたえ充分なのだが、潔が主人公となる後半で、物語はさらに深度を増す。時流から外れ、北海道に建設される樺戸集治監(監獄)の初代典獄(所長)になった潔。尊敬する洗蔵の志を胸に、新たな時代に相応(ふさわ)しい監獄を作ろうとする。しかし実際は、厳罰主義で囚人たちに臨まざるを得ない。理想と現実の狭間で苦悩する潔に、洗蔵の姿が重なり、どうして彼らがこれほど苦しまねばならぬのかと、怒りすら覚えてしまうのだ。

 でも、それこそが洗蔵と潔の選択である。歴史の陰に埋もれることを承知の上で、麗しき志を掲げ、困難な道を歩んだ男たちの生き方に、魅了されずにはいられない。

 月形洗蔵から潔へと受け継がれた志は、百年以上の歳月を経て、葉室麟の手によって甦(よみがえ)った。そして本書を読んだ読者により、さらに受け継がれていくのだろう。これこそが歴史小説の持つ、大いなる力である。

(文芸評論家 細谷正充)

[日本経済新聞朝刊2013年9月1日付]

月神

著者:葉室 麟
出版:角川春樹事務所
価格:1,680円(税込み)


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