私はホロコーストを見た(上・下) ヤン・カルスキ著大戦下ポーランドの抵抗運動

2012/10/9

ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)については、すでにおびただしい資料や証言が公にされている。本書もまた、そうした証言のすぐれた一つである。だが、本書の主要な意義は、ドイツの支配下におけるポーランドの現実と対独抵抗運動の実態を、その現場に生きた当事者の目で、詳細かつ生きいきと描いている点にあるだろう。

(吉田恒雄訳、白水社・各2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 1939年9月、ポーランドに侵攻したドイツは、瞬く間にポーランド軍を壊滅させ、各地を制圧した。それに対抗して東からはソ連が進軍し、国土は二分される。著者はソ連軍に拘束されたが、独ソの捕虜交換でドイツへ送られるさいに、移送列車から脱走して抵抗運動に身を投じる。政府はフランス(のちにイギリス)に亡命し、あらゆる主権と人権を剥奪されながら、ポーランド民衆は抵抗をつづけた。ナチス・ドイツに制圧された他の諸国とは異なり、ポーランドは「売国政治家」を出さなかった。ドイツ人に協力する民衆もなかった。これを著者は繰り返し誇らかに記している。かれ自身は密使として亡命政府のもとへ派遣され、祖国の現状をつぶさに伝える役割を果たす。2度目の密行の途上、逮捕され、拷問のすえ自殺を図るが、生き延びて、地下組織によって危うく救出される。

 だが、著者のテーマは、自分の活躍を記すことではない。ワルシャワのゲットー(ユダヤ人収容区域)と、絶滅収容所の一つに潜入したかれは、そこでなされている残虐な殺戮(さつりく)と悲惨をつぶさに記録して国外に伝える。周知のガス室ではなく、貨物列車を使った大量虐殺の記述は、本書のうちでも最も衝撃的な箇所だろう。それとは逆に、抵抗運動の詳細についての証言は、読者に文字通り希望を与える。ポーランドの抵抗運動は、民衆のための教育制度を地下で密(ひそ)かに充実させ、戦後の再建の準備を怠らなかった。抵抗運動における女性の大きな役割についての記述も、本書の重要な一部である。

 歴史のひとこまをこれほど具体的に、しかも感動的に後世に伝えた仕事は、きわめて稀有(けう)だと言わなければならない。同時に、ここから何を学ぶのかを、本書は読者に問いかけてもいるのである。

(ドイツ文学者 池田浩士)

[日本経済新聞朝刊2012年10月7日付]

私はホロコーストを見た(上): 黙殺された世紀の証言1939-43

著者:ヤン・カルスキ.
出版:白水社
価格:2,940円(税込み)