父、断章 辻原登著虚と実をめぐる巧妙な仕掛け

2012/8/20

父母の追憶を記す「私小説」的な作品二編から始まり、虚構的作品三編をはさんで、再び作者自身と似た「私」が登場する末尾二編に至る。いわば、「実」から「虚」へ、再び「実」へ、という構成である。

(新潮社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 しかし、「虚」を通過した末尾二編の「実」は、すでに半ば「虚」に染まっている。本書の構成自体が作者の小説観や人間観を表現しているようで、何とも心にくい。

 もちろん一編一編にも、虚と実をめぐる仕掛けがいくつも、巧妙にさりげなく、施されている。その見事な作者の手腕を、読者はどの作品でも堪能できる。

 たとえば、虚構的三編なら、地方の駅に降り立った「白い花束」のような女が、歓待を受けて立ち去る祝福の女神のイメージを帯びる不思議(「午後四時までのアンナ」)。また、「脱獄王」と称された男を文字どおり「雪隠(せっちん)詰め」にする老婆(ろうば)のしたたかさと、嘘(虚)に託すしかないほどの彼女の寂寥感(せきりょうかん)の深さ(「チパシリ」)。さらに、明朝再興の大望を断たれた男がコオロギの闘いという虚の遊戯に打ち込む凄(すさ)まじい執念(「虫王」)。

 末尾二編なら、虚構の魅力について語った講演会での「私」の言葉が、後半の追憶場面に微妙にかぶさって、土地と文学が、過去と現在が、虚構と現実が、幾重にも重なっていく微妙な感触(「夏の帽子」)。そして、やはり講演旅行という現実から始まった世界が、驟雨(しゅうう)とトンネルという「境界」を経て、故郷を「異界」に変貌させる鮮やかさ(「天気」)。

 最も自伝的で虚構の要素の少ないはずの冒頭二編も実は同じなのだ。そもそも自伝とは記憶の点検であり、記憶はどこか夢に似る。

 現に、「母、断章」の末尾、満月に照らされた夜の川を「人魚」のように泳ぐ若い母親の姿は、悲しみをたたえて夢のように美しい。そして、父親の生涯を年代記的にたどり、殺意にまで尖(とが)る父と息子の心理的葛藤を語った表題作「父、断章」にも、記憶を反芻(はんすう)しながら、虚実を隔てる扉が不意に裏返ったかと疑う一瞬は記されているのである。

 読み返せば読み返すたびに発見のある魅力的な短編集だ。

(文芸評論家 井口時男)

[日本経済新聞朝刊2012年8月19日付]

父、断章

著者:辻原 登.
出版:新潮社
価格:1,680円(税込み)

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