夜の国のクーパー 伊坂幸太郎著戦争をめぐる異空間での物語

2012/7/24

伊坂幸太郎が『吾輩は猫である』で来るとは思わなかった。

(東京創元社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 語り手は、人の言葉がわかる猫のトム。舞台は、毒塗りの防壁がめぐらされた小さな国。鉄国(てつこく)が侵入してきて、国王の冠人(かんと)が射殺され、国が支配される。トムは生まれてはじめて馬という動物と銃という武器を目の当たりにする。

 そんな占領された国の様子をトムは「私」に語りかける。仙台の公務員の「私」は妻に浮気をされ、趣味の釣りに逃避して海にでたら時化(しけ)にあい、気づいたら見知らぬ場所で横たわっていたのだ。

 おそらく伊坂ファンなら、デビュー作『オーデュボンの祈り』を思いだすだろう。人間の言葉を喋(しゃべ)るかかしが存在する異世界を舞台にしたファンタジー。そのかかしという存在は作者が愛する丸山健二の『さすらう雨のかかし』のシンボルと響きあうし、今回は後書きでふれているように大江健三郎の『同時代ゲーム』の登場人物名に刺激をうけている。伊坂幸太郎はミステリー作家としてデビューしたが、純文学的なテーマをミステリー的手法でスリリングに見せる作家である。そのために寓話(ぐうわ)の手法が使われるのだが、今回はより象徴的な意味合いが濃い。

 実際、戦争をめぐる対話がほとんどを占めるといっていい。『魔王』で全体主義の危険性を捉えた伊坂幸太郎にとっては戦争をテーマにすえることは当然の帰結といえるだろう。崩壊した体制、権力の委譲と旧権力者の処遇、占領下における支配と被支配の問題などに、移動する樹木の化け物(クーパー)を退治するための出征兵士たちの伝説をからめて、異空間の国の過去と現在が様々に物語られるのだ。

 とはいえ物語巧者の伊坂のことだから、隠された秘密を用意し、巧妙に張られた伏線の回収とともに一つ一つ明らかにする。謎が解かれるのではなく当事者が一方的に告白する点や、猫のトムが傍観者である点など物足りないと思うけれど、それもこれも終盤で判明する叙述トリック(基は世界文学のある名作)のためであることがわかる(周到な仕掛けである)。小説としての味わいにやや欠けるものの、寓話性に富む物語の興趣は十分に備わっているだろう。

(文芸評論家 池上冬樹)

[日本経済新聞朝刊2012年7月22日付]

夜の国のクーパー

著者:伊坂 幸太郎.
出版:東京創元社
価格:1,680円(税込み)

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