日本の原爆 保阪正康著陸海軍と科学者の関係浮き彫りに

2012/6/25

とても面白い。世界唯一の被爆国である日本でも原爆の製造計画があった。これは専門家にはよく知られている事実である。だが著者は、その周知の事実を、関係者たちの証言を元に改めて繊細に再構成しようとする。陸軍のニ号研究と海軍のF号研究だ。しかも日本の原爆製造は、偶発的に目標設定されたわけではない。それは、特にマリアナ沖海戦の敗北後、敗色濃厚になった戦況を一気に打開するための新兵器を探そうとしていた、軍の強い意向によって後押しされた。軍の科学者への働きかけは、相対的に重要な資金を科学者にもたらし、しかも目標設定さえ決まっていれば、後は自由に研究ができるという、逆説的な学問空間の整備にも繋(つな)がった。

(新潮社・1500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 当時の科学者は、日本で原爆を作ることなどとうてい無理だという判断をしていたことが後の証言で明らかになるにつれ、科学者の微妙なスタンスが見え隠れする。それは原爆というよりは原子核研究であり、ウランさえろくに手に入らない中でのその濃縮法の研究だった。「軍学提携」は、両方が違う意味で互いを利用することでもあった。自律と社会貢献という異なるベクトルに引き裂かれ、目標実現の非現実性をそのまま告白するわけにもいかないという当時の状況が巧みに浮き彫りにされている。その際、一方的な弾劾の気配がないのは史的記述として好ましい。

 また、戦況悪化が深刻なものになるにつれ、一発逆転を狙うという心情は単に軍内部だけではなく、政治家や一般市民にまでそれとなく共有されていた。マッチ箱ひとつで大都市が吹き飛ぶほどの新兵器が開発されているとの噂が当時の社会に飛び交っていたという事実は、仮に軍が意図的に流したものだとしても、市民の願望を露(あら)わにしており、社会心理学的にみて示唆に富む。さらに原爆投下直後の軍や政府のあり方は、昨年の原発事故騒ぎの後の国家の対応を思い起こさせる。隠蔽と棄民、それが両者を結ぶ縦糸だ。総じて本書は、的確なバランス感覚に裏打ちされた緻密な力作であり、著者の既に厖大(ぼうだい)な著作群に新たに加わる、優れた一冊だと評価して構わない。

(哲学者 金森修)

[日本経済新聞朝刊2012年6月24日付]

日本の原爆: その開発と挫折の道程

著者:保阪 正康.
出版:新潮社
価格:1,575円(税込み)


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