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舞台・演劇

第6回日経能楽鑑賞会「隅田川」 身体性の抽象と表現の具象

2012/6/15 日本経済新聞 夕刊

具象性と抽象性。いずれも能の演技・演出のありかたでこの振幅が舞台を左右する。

人買いに拉致された少年が東国・隅田川畔に客死。狂女となってさすらう母は一周忌命日にわが子の墓を探し当て亡霊と巡り合う。世阿弥の子・元雅の作った「隅田川」は能に珍しい絶望の悲劇。浅見真州と友枝昭世、硬質な造形美を誇る名手が競演した(5日・7日、国立能楽堂)。

伝承に基づく特殊演出を加え(笛の松田弘之、大鼓の亀井忠雄が特筆すべき演奏)、周到に演じた浅見は安易な叙情を排し明確な叙事に徹した。内面から湧き出る抽象化された「あはれ」の純度。今年に入って新境地を示し始めた浅見の充実は著しい。

『申楽談儀(さるがくだんぎ)』の世阿弥案に準拠し亡霊を出さない友枝の演出は子方の念仏に替えて笛(一噌仙幸の名調)を虚(むな)しく聴かせる工夫が秀逸。友枝は「この世の姿を母に見せさせ給へや」とワキ・船頭の両肩を2度も強く叩(たた)く破調の熱演を見せ、驚嘆させた。が、友枝の抽象的身体性と彼が随所で入念に説き明かした具象的表現とは矛盾しないか。

亡霊出現を第三者の船頭が確認する(今回この言葉は省いた)元雅の作劇意図は「奇跡の肯定」。これを否定する世阿弥の主張=子方の省略とは、現代ならばペーター・コンヴィチュニーのオペラ読み替え演出に相当する。ただ、能は演者と演出家が同一で独創が対象化されず自閉しやすい。古典劇として隔離され批評を拒みがちの能が抱える問題だと私は思う。

狂言は野村萬(5日)と万作(7日)による「文荷(ふみにない)」の競演。

(演劇評論家 村上 湛)

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