ピダハン ダニエル・L・エヴェレット著定説を揺るがす豊かな精神世界

挨拶は人間関係の潤滑油だといわれている。ぎすぎすしがちな現代社会で起きていることを考えると、挨拶の言葉が存在しない社会は想像するだに恐ろしい。

(屋代通子訳、みすず書房・3400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 しかし、現実はいともたやすく想像を裏切る。挨拶が存在しないのに、人々が和気あいあいと暮らす社会が実在するのだ。それは、アマゾンの奥地、マイシ川の沿岸400キロほどの地域で暮らすピダハンと呼ばれる300人ほどの人々である。

 アメリカ人伝道師である著者は、ピダハン語訳聖書作成の使命を帯び、言語学、人類学の理論で武装して現地に赴く。ところが、ピダハン語を習得するにつれて言語学の定説だけでなく、自身の価値観も揺らぎ出す。

 ピダハン語には、従属節、数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しないものが多い。それらを必要としない文化なのだ。たとえば方向は、マイシ川の上流側か下流側かで表現される。数に替わる概念は相対的な量で表わされる。

 どれもこれも、従来の言語学、人類学の定説に反することばかり。従属節がないため、一文はとても短いが、ピダハンはとてもおしゃべりでよく笑う。のべつ幕なし、夜昼関係なく、おしゃべりしている。必要なときに寝て必要なときに食べる社会なのだ。

 人間には普遍的な文法が遺伝的に組み込まれているというのが言語学の定説である。ピダハン語は普遍的な文法則にあてはまらない。独自の文化が生み出した独自の、必要十分な言語なのだ。

 ピダハンは、周囲の環境でうまく生き抜くための知恵を備えており、狩猟採集民として満たされた生活を送っている。外の世界をうらやんだりはしない。創造神話など架空の物語にも関心がなく、現実の体験のみについて語る。過剰な儀式もない。必然、誰も会ったことのないキリストの言葉など信用しない。彼らに神は必要ない。

 ピダハンの豊かな精神世界に触れた著者は、ついには信仰を失う。逆に改宗させられたのだ。

 満たされた生活とは何か、定説とは何かなどについて再考を迫る刺激的なノンフィクションである。

(筑波大学教授 渡辺政隆)

[日本経済新聞朝刊2012年6月10日付]

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

著者:ダニエル・L・エヴェレット.
出版:みすず書房
価格:3,570円(税込み)


今こそ始める学び特集
今こそ始める学び特集