KOTOKO狂気から現実に迫る

子供を育てるのは大変だ。ましてシングルマザーとなると肉体も精神もギリギリの消耗を強いられる。そんな育児の現実を、「鉄男」の塚本晋也監督がシンガー・ソングライターのCoccoと組んで描いた。

東京・テアトル新宿であす公開 (C)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

一人で幼子を育てる琴子(Cocco)にとって、世界は恐怖に満ちている。息子が車にひかれないか、階段から落ちないか、通行人が襲ってこないか……。

神経過敏な琴子には世界が二重に見える。善良そうな人物の隣に、同じ顔立ちの凶悪な人物がいる。平穏な光景の傍らに、陰惨な地獄絵が広がる。世界が一つに見えるのは、好きな歌をうたっているときだけだ。

愛する息子を守ろうとするあまり、琴子の強迫観念は日に日に大きくなる。繊細すぎる心、強すぎる愛が、世間との折り合いを阻む。自分の体を傷つけることで、生の現実感を取り戻そうとする琴子。

ついには社会から子育て不能と見なされ、子供を奪われる。琴子の心は壊れてしまう……。

平凡なサラリーマンの肉体が鉄にむしばまれていく「鉄男」。記憶喪失の医学生が現実感を取り戻そうと解剖にのめりこむ「ヴィタール」。日常の裏に潜む狂気を視覚的・聴覚的に誇張した形で描きだす塚本は、ドイツ表現派から黒澤明まで脈々と続く表現主義の作家といえる。そんな塚本が「狂気」の描写から迫ろうとしたのは、一貫して都市や身体の「現実」だった。

泣き叫ぶ子供を片手で抱いてあやしながら、片手で熱い中華鍋をもって野菜をいためる琴子。そんな母親はいまい。しかしその具体的な身ぶりに琴子の「現実」が凝縮されていて、強烈な残像となる。琴子の強迫観念は、原発事故後の放射能の恐怖におびえながらわが子を守ろうとする今の日本の多くの母親の心理と重なる。狂気ではない。これが現実なのだ。1時間31分。

★★★★

(編集委員 古賀重樹)

[日本経済新聞夕刊2012年4月6日付]

★★★★★ 今年有数の傑作
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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