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鹿児島 天文館が輝かす「星の街」 海外と交流、独自の暦も

2012/4/7 日本経済新聞 夕刊

 2010年6月、地球に帰ってきた小惑星探査機「はやぶさ」。03年に打ち上げられたのは鹿児島県にある内之浦宇宙空間観測所からだった。国内にあるロケット発射場は2カ所。もうひとつの種子島宇宙センターも鹿児島県にある。

 鹿児島は昔から星と縁が深かった。鹿児島市の繁華街「天文館」も、江戸時代、天文台があったことから名付けられた。

かつて「明時館」と呼ばれる天文台があった繁華街・天文館

■「天文館」という住所はない

 JR鹿児島中央駅から市電で約10分。天文館通停留場で降りる。市電が走る通りを挟む南北両側が天文館だ。「ただ、天文館という住所はないんです」と教えてくれたのは、地元商店街と企業で構成するWe Love天文館協議会の牧野繁会長(56)。繁華街の総称が天文館。どこからどこまでか、地元の人でも意見は分かれるらしい。

 北と南では商店街の性格も異なる。北は物販店が多く、南は飲食店がひしめく。買い物は北側、お酒を飲むなら南側の天文館になる。

 ここに天文台「明時館」を建てたのは25代当主の島津重豪(しげひで)。天文館は明時館の別名だ。江戸時代、周辺には武家屋敷が並んでいた。鹿児島の歴史を展示する維新ふるさと館の福田賢治館長(70)によれば「当時は人通りも少なく、薩摩城下でも一番暗い場所だった」。

 鹿児島市立美術館が所蔵する「天保年間鹿児島城下絵図」には明時館が描かれている。天体観測に使われたと思われるドーム状の建物も見える。

 ただ、この建物は残っていない。たびたび戦火に見舞われた鹿児島市は古い建物の多くが焼失している。明時館があったことを示すのは小さな記念碑のみ。頭上には桜島の火山灰を防ぐアーケードがかけられている。当時、ここからどんな星空が見えたのだろう。

■江戸時代、鹿児島は科学技術の先進地

 明時館が建てられたのは1779年。「だが、それ以前から薩摩藩にとって天体観測は重要だった」と言うのは尚古集成館の松尾千歳副館長(52)。日本の一番南に位置していた薩摩は、古くから海外との交流が盛んだった。江戸時代は琉球も支配下にあった。それらを行き来する航海には天文学が欠かせない。

 1685年、江戸幕府は暦を統一し、各地での暦作成を禁じた。だが薩摩藩だけは例外だった。江戸から離れているため、幕府が作った暦の入手が難しい、暦にも違いが出てくるといった理由があったらしい。海外との交流で得た知識を生かした「薩摩暦」は正確で、幕府の暦には書かれていなかった日食を、その欠け方まで的中させた。

 「現在の鹿児島は農業のイメージが強いが、当時は科学技術の先進地だった」と松尾さん。尚古集成館には当時の資料が保管される。残念ながら天文観測用具は残っていないそうだ。

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