山口・柳井 白壁土蔵に豪商の才覚富の蓄積、町並みに生きる

山口県柳井は瀬戸内の海運の要衝として室町時代から栄えた港町だ。九州や四国、近畿を商圏に多くの商人が財をなし、豪商屋敷が軒を連ねたという。かつてのにぎわいは失われたものの、江戸時代から残る商家の白壁の町並みが往時の繁栄ぶりを伝えている。

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土蔵白壁づくりの町並みが江戸時代の面影を伝える

JR柳井駅から歩くこと10分弱。柳井川を越えると景観が一変する。白壁土蔵づくりの商家が約200メートルにわたって立ち並ぶ。その数、およそ50軒。電柱など視界を遮る障害物も少なく、真っ白な塗り壁と灰色の瓦屋根の鮮やかなコントラストに目を奪われる。

軒先をのぞきながら、石畳の街路を進む。多くは商いをやめて久しいものの、文具や醤油(しょうゆ)、和菓子など代々の商売を続けている店もある。いずれも間口が狭く、奥行きが深い昔ながらの商家のスタイル。この辺りの町割りは室町時代から変わっていないという。

柳井の成り立ちを知るために、しらかべ学遊館に向かう。江戸後期から明治初期の商家を改修し、かつて使われていた商売道具などを展示する。柳井市文化財保護指導員の松岡睦彦さん(72)が古地図や年表を示しながら、丁寧に教えてくれた。

「白壁土蔵の町並みが形作られたのは江戸時代後期以降。それまでは何度も大火が起こり、町は焼失と再建を繰り返していた。1768年(明和5年)の大火をきっかけに、防火のために屋根を瓦で覆い、壁をしっくいで厚く塗り込める白壁土蔵づくりが広まった。おかげでその後、大火はなく、多くの古い商家が今日まで残った」

その一つ、国森家住宅を訪ねると、8代目当主の国森重彦さん(71)が出迎えてくれた。国森家は油問屋として栄えた豪商。建物は1769年築で国の重要文化財に指定されている。「店は祖父が昭和15年に閉じたが、建物はそのまま。今も私と妻がここで暮らしています」

街路に面した正面部分がかつての商売スペース。今はそこを一般公開している。玄関を入ると向かって右半分が土間で、左側には板の間と畳の間が一段高く据えられている。200年以上前と変わらぬ空間だ。板の間に番頭が座る場所があり、商談はここで行った。

豪商ならではの防犯対策も施されている。当時金庫や商品などは2階に保管していた。ただ階段は隠し扉の奥にあり、簡単に見つからない。「正面扉も頑強につくっているが、大勢に攻められたら破られる。もし強盗がやってきたら、隠し階段から素早く2階に逃げて、財産と命を守る」と国森さんは説明する。

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