あかりの湖畔 青山七恵著若者たちのかけがえのない日常

2012/1/30

《湖は小さな太陽を水面に浮かべ、その形を乱さぬようそっと揺らしている。せりでたボート乗り場の端をつまんで湖ごと傾ければ、初夏の陽光をたっぷり蓄えた湖水は、歩道もまばらな家並みも全てを洗い流してしまいそうだった》

(中央公論新社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 冒頭の、繊細かつ象徴的な湖の描写に、まず心奪われた。さびれた温泉地の山の上にある、この湖のほとりの休憩所「風弓亭(ふうきゅうてい)」で、若い三姉妹とその父がひっそりと暮らす。店の運営を引き受けている二十代の長女、灯子を中心に、湖のそばに暮らす人々の心理の綾(あや)が、夏から冬にかけての季節の体感とともにゆっくり沁(し)みてくる。

 同じように緑豊かな美しい風景に守られ土地の人に愛されて育っても、どう生きるのか、という人生の方向性は三姉妹とも異なる。女優を目指して恋人とともに東京へ出て行く次女の悠と、東京に素朴な憧れを抱く末娘の花映に対し、灯子はこの土地を離れることなど考えられないと思っている。その灯子の心の底には、十五年前に失踪した母親のことが重くのしかかっているのだった。

 姉妹、親、親戚、親友、幼なじみ、妹の恋人、訪問者、そして追憶の中にいる人。やさしく生真面目な性格の灯子が、それぞれに抱く愛情は、ときに表に出してはならないものとして灯子を苦しめる。しかし誰にも言えない気持ちを抱えているのは、灯子一人ではないことがじわじわと分かってくる後半は、鼓動が早くなる。それぞれの胸にしまっていた秘密が明かされることで悲しみがあらわになるが、心細さを分け合った先には、希望の光も見える。

 今の状態に至福を感じていたとしても、時代の変遷と加齢によって、ずっと同じでいることはできない。とりわけ地方都市では、そこでいつまでも仕事ができるわけではないという切実な状況も加わり、自分の意志だけではない部分でも決断を迫られる。その後どのように生きていくかを決めるとき、自分にとって何が一番大切なのかを決定することにもなる。若者たちが人生の次の一歩を踏み出すまでの、誠実な文体による日常の細部が、かけがえのないものとして木洩(も)れ日のように輝く。

(歌人 東直子)

[日本経済新聞朝刊2012年1月29日付]

あかりの湖畔

著者:青山 七恵.
出版:中央公論新社
価格:1,680円(税込み)


今こそ始める学び特集
今こそ始める学び特集