梨の花咲く町で 森内俊雄著「時」をめぐる人生のミステリー

2012/1/23

文学の文章は、老いてますます熟成する、ということがある。それどころか、ますます華やぐ、ということさえある。森内俊雄の久しぶりの短編集である本書を読んで、その感を深くした。

(新潮社・1900円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 巻頭に置かれた「モーツァルト」は、現代日本が舞台だが、モーツァルトの音楽や生涯をモチーフに、作中作やミステリー仕立てといった趣向を凝らした作品である。平穏な家庭に霊の気配がつづけてあらわれ、しかも平然とそれを受け入れて始まるあたりからして、森内俊雄ならではの世界が展開する。この作家にとって、「ミステリー」はただの推理によって解かれるべき「謎」にとどまらず、神の領域に関わる「神秘」でもある。

 「モーツァルト」以外の六編も、「クレアタ・エト・クレアンス」(「創造され かつ 創造する」という意味の言葉だという)ではレリーフの少女像が、「ジュニエ爺(じい)さんの馬車」ではアンリ・ルソーの絵画が、「ど・ど・ど・ど・ど」では絵本が、「火星巡暦」では尺八演奏や『聊斎志異』が、「橋上の駅」ではリルケの詩が、「梨の花咲く町で」では陶芸が、作品世界に深く織り込まれている。芸術は作品の風韻を作り、随所で芳醇(ほうじゅん)な香を放っている。

 虚構性の高い作品からいわゆる「私小説」的作品まで含む七編の主題をあえて一語でいうなら、たぶん、「時」ということになるだろう。生きられた時間、想(おも)い出された時間である。時は過ぎゆくが、想い出の中には時間がない。ただ永遠だけがある。

 いくつかの作品で、過去の少女(たち)の姿を現在眼前の少女(たち)の姿に重ね、あたかも過去の少女(たち)が現在眼前に再来したかのように、主人公が不思議も抱かずに受け入れる場面がある。では、過ぎ去るのは「時」なのか。それとも、ただこの「私」の意識だけが過ぎ去り、「時」は永遠にとどまり反復するのか。人生というものの深い感慨に触れて、本書が読者に問いかける最大の「ミステリー」だ。

 末尾に置かれた表題作の、白い花が一面に咲き広がる梨畑の夢のような美しさもまた、そういう永遠の「ミステリー」の中にある。

(文芸評論家 井口時男)

[日本経済新聞朝刊2012年1月22日付]

梨の花咲く町で

著者:森内 俊雄.
出版:新潮社
価格:1,995円(税込み)


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