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長崎・鷹島 元寇 最後の戦いの地 鎌倉武士、陸上で奮戦

2012/1/21 日本経済新聞 夕刊

「元寇(げんこう)終焉(しゅうえん)の地」として知られる長崎県松浦市の鷹島(たかしま)。伊万里湾に浮かぶ、こののどかな小島で、約730年前に襲来した元軍と迎え撃つ鎌倉武士との間で最後の決戦が行われた。折からの暴風雨で戦わずして壊滅したとされる元軍だが、実は多くの兵が生き残り、鷹島で壮絶な陸上戦を繰り広げた。知られざる激戦の跡を巡った。

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弘安の役で元寇船が沈んだ鷹島南岸の海域。奥は松浦市本土

元寇は文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2度行われ、いずれでも元軍の襲来を受けた鷹島には元寇ゆかりの史跡や伝承が多く残されている。

地元でボランティアガイドを務める小田嘉和さんに案内してもらい、島内を一周した。人口約2400人の過疎の島で、行き交う人も車もほとんどなかった。ただ西方に平戸諸島、北方に玄界灘と美景に恵まれ、特に夕映えのしまなみは美しく、静かな波音も耳に心地よかった。

最初に訪れたのは島南岸の神崎。「ここの海一面に元の軍船があふれ、そして沈んだようです」(小田さん)。鷹島南岸の海域では弘安の役で多数の元寇船が沈み、元軍由来の遺物も多く見つかっている。元寇船が沈んだのは暴風雨に見舞われたのが原因だが、小田さんによると、南岸の海はとても穏やかな内海で、今でも台風が近づくと大型の貨物船やタンカーまでが風雨を避けて集まってくる。

弘安の役の元軍は総兵力14万人、船艇4400隻という大軍。実はその大半が暴風雨の接近を事前に察知し、穏やかな鷹島南岸に避難したが、風雨の猛威の前になすすべもなかった。穏やかな海だからこそ、元寇船が集まり、その墓場と化したのだ。

次に訪れたのは、島西南の中川激戦場跡地。暴風雨から生き残った元軍と鎌倉武士が激しい陸上戦を展開した場所で、「元寇最後の決戦場」と伝えられる。中川は勝利した鎌倉武士が元軍兵を斬首し、その血が付いた刀を洗い流したところといわれ、周辺は「首除(くびのき)」と呼ばれている。今では川の痕跡と激戦場であったことを示す石碑があるだけで、ありふれた田舎の光景が広がっている。

弘安の役の日本の勝利については「暴風雨のおかげでたまたま勝てた」との説が一般的。いわゆる「神風」神話だが、果たしてそれだけなのだろうか。

「人は神風という。しかし、これは人が神風にしたのだ。風の吹くまで、海の上をうろつきまわらせていたればこそ、神風になったのだ」。海音寺潮五郎は小説「蒙古来たる」の中で、鎌倉武士にこう叫ばせている。

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