小澤征爾さんと、音楽について話をする 小澤征爾・村上春樹著作り手の言葉と聞き手の好奇心

2012/1/16

かけがえのない時間だ。世界を舞台に活躍する2人が、同じ音に耳を澄まし、語り合っている。場所は村上の自宅だったり、特急列車の中だったり。小澤は時折「あははははは」と笑い、身振(ぶ)り手振りを加え、歌う。村上は好奇心旺盛な、正直な素人の聞き手であろうと心がけている。体調を気遣って休憩をはさみ、お茶を淹(い)れる。小澤は、百倍のお返しをしようとするかのように、丁寧に記憶を辿(たど)り、言葉を紡いでいく。

(新潮社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 素人といいながらも村上は、小澤曰(いわ)く「正気の範囲をはるかに超え」た音楽愛好家だ。ある時は少女時代のアンネ=ゾフィー・ムターがヴァイオリンのソロを務め、小澤がカラヤンの代わりに指揮した幻の名盤を棚から出し、「こんなの持っているんだ」と小澤を驚かせる。またある時は編集済みのCDとオリジナルの「どこが違っているか当てて下さい」という宿題を小澤に与えられ、一晩かけて聞き比べる。

 ゼロから何かをつくる時の集中力の深さは2人に共通するが、根本的な違いも浮かび上がる。たとえばマーラーの「巨人」について。葬送のマーチとユダヤの俗謡的な音楽が劇的に転換する脈絡のなさをどう理解すればいいかと問う村上に、小澤は返す。「僕ってあまりそういう風にものを考えることがないんだね」。音楽をレコードやコンサートなど翻訳で親しむ聞き手と、楽譜という原書を読み込み「音楽の中にすっぽり入っちゃう」作り手の違いか。2人の「音楽への献身」のかたちが立体的になるにつれ、双方を隔てる壁の向こうに新たな景色が現れる。

 最終章、スイスで学生オーケストラの成長を見届けた2人は、パリ行きの列車で語り合う。学生を指導することのどんなところが勉強になるのかと問う村上に、小澤は「僕のいちばん弱いところが出てくる」と答える。村上は即座にその意味を聞き直してしばらく待つが、それ以上明確な答えはない。その代わり、眩(まぶ)しすぎるとでもいうように、若者の力の凄(すご)さ、素晴らしさを語り始める。渡航制限のあった時代に単身渡欧し、土地の音楽を吸収しようとスクーターで駆け回った若き日の小澤青年の姿が重なり、胸が熱くなる。

(ノンフィクションライター 最相葉月)

[日本経済新聞朝刊2012年1月15日付]

小澤征爾さんと、音楽について話をする

著者:小澤 征爾, 村上 春樹.
出版:新潮社
価格:1,680円(税込み)