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群馬・桐生 坂口安吾と電子顕微鏡

2011/12/10 日本経済新聞 夕刊

織物産業で栄えた群馬県桐生市。作家・坂口安吾は晩年をこの町で過ごした。新潟で生まれ、東京で暮らした安吾がなぜ桐生に移り住んだのか。

生前の安吾も訪ねた古書店「奈良書店」の奈良彰一さん(65)によると、安吾と桐生を結びつけたのは顕微鏡だった。安吾は競輪にのめり込んだ時期がある。あるレースの判定に疑問を持ち、1951年に判定写真を桐生市にある群馬大学工学部の顕微鏡で調べようとしたという。

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坂口安吾が暮らしていた旧書上邸の一部は今も花屋として残る

群馬大学には1916年に建てられた校舎が今も記念会館として残る。その中にある群馬大学工業会(工学部同窓会)の横山昭事務長(69)によると「当時、大学には東芝製の電子顕微鏡があった」そうだ。だが写真を何万倍に拡大しても見えるのは粒子だけ。「話としては面白いけど現実的ではない」。実際、成果はなかったらしい。

工学部の次に料理店「芭蕉」を訪ねてみる。尽力してくれた人たちへのお礼に桐生を訪れた安吾は、その夜、1937年から続くこの店で彼らと会食している。「集まったのは個性豊かな人たち。安吾は桐生に興味を持った」(奈良さん)

東京に戻った安吾は、友人で桐生在住の作家、南川潤に家探しを依頼する。南川が見つけたのは、土地の旧家で豪商だった書上文左衛門邸の離れ。そして翌年、安吾は桐生へ移住する。

書上邸は後年、分割され人手に渡るが、当時の面影は「花のにしはら」という花屋に見ることができる。店内に飾られた往年の屋敷図を見ると、周辺すべてが一つの屋敷だったとわかる。安吾が暮らした離れも部屋が10もあったそうだ。

「私の住居は田舎の小都市ながらメインストリートに位している」。安吾が描いたのは現在も町の中心を走る「本町通り」。この町は1591年、徳川家康の命でつくられた。桐生は空襲を受けなかったので、旧書上邸周辺には今も古い建物が残る。

本町通りを南へ少し歩いたところにあるうなぎ屋「泉新」も創業1829年の老舗。散歩中の安吾がぶらりと上がり込むことも多かった。子どもだった泉田愛子さん(63)は「ひざの上でお酒をなめさせてもらった」ことを覚えている。

安吾は変わった場所から泉新の出前を取っている。それは留置場。泥酔して留置場に入れられた翌日、係官と同房だった人と泉新のうな重を食べた。

安吾が暮らした時代、桐生は戦後の好景気を享受していた。戦争で工場の97%が転廃業したが、戦後、マフラーの輸出を足がかりに、織物産業が復活。発展は60年代後半まで続く。

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