持ち重りする薔薇の花 丸谷才一著芸術の背後にある人生の困難

2011/12/5
(新潮社・1400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

クラシック音楽のファンでも室内楽、それも弦楽四重奏ファンは数少ない。その代わり生粋の通だと断言できる。最少の弦楽器で緊密なアンサンブルを作り上げる点で、最も純度と難度の高い演奏形態だからである。

 本書はアメリカで活躍する日本人の弦楽四重奏団「ブルー・フジ・クヮルテット」の経てきた道のりを、長年応援してきた元経団連会長の大物財界人、梶井玄二が語るという体裁を持つ。聞き手は、彼とやはり長い付き合いのある編集者だ。時には脱線したり物忘れがあったりしながらのリラックスした語りには、深い造詣とウイットが飛び交い、内輪の秘め事に類する話題も出て来る。しかしメンバーからの伝聞を多く含むその内容は、複雑な時間と空間を自在に操って再現されたものだ。

 そこから浮かび上がるのは、世界的な評価を得ているこの楽団の、仲違(たが)いや一時脱退やらのゴタゴタの連続である。世界中の四重奏団と同様に、彼らも仲が悪い。ビオラ奏者の離婚した妻がチェロ奏者と寝る。かと思うとチェロ奏者の妻がビオラ奏者と駆け落ちする。第一バイオリン奏者が知人に何気なく言った言葉が曲解されて、他の3人から総スカンを食らう。

 それでいて解散することなく楽団は維持される。溜(た)め込まれた複雑な思いが、演奏にはプラスに働くというところが、芸術の面白さである。一方で、語っている梶井自身の人生も、浮き彫りになっていく。息子が登山で死んだあと、妻は酒浸りになって死に、再婚した若い妻もアルツハイマー症になるという悲劇を、栄達を極めたはずの彼は背負っていたのだ。

 美しい音楽が奏でられ、聞きほれる愉悦の背後に、このような人生の困難と寂しさが横たわっている。芸術と人生の鍔迫(つばぜ)り合いがこれほどリアルに語られることは稀(まれ)だ。しかし本書は、生きる歓(よろこ)びを一瞬も失うことなく語りおおせる。同時に、会社や組織を個人の思惑を超えて維持しあう、ある意味できわめて日本人的な絆の築き方を、しみじみと感じさせるのだ。芸術も人生も、社会の表裏も知りぬいた「大人」による、練達の小説である。

(文芸評論家 清水良典)

[日本経済新聞朝刊2011年12月4日付]

持ち重りする薔薇の花

著者:丸谷 才一.
出版:新潮社
価格:1,470円(税込み)


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