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愛媛・新居浜市 日本の近代化、天空の歴史館で学ぶ

2011/10/15 日本経済新聞 夕刊

1973年に閉山するまで約300年間続いた愛媛県新居浜市の別子銅山。世界最大の産出量を誇ったこともある。石造りの貯鉱庫など市内に点在する産業遺産には、日本の近代化の過程が刻まれている。

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索道基地跡などの遺構が点在し「東洋のマチュピチュ」の趣だ

まず目指したのは大正時代から昭和初期まで採鉱本部がおかれた東平(とうなる)地区。標高750メートルにあった天空の「山の町」だ。市の中央部を流れる国領川上流の渓谷景勝地、別子ライン沿いの幹線道路を車で走り、脇道に入る。とたんに狭くなった。大型バスはとても通れない。この地区に生まれ、1968年に坑内輸送用のトンネルである第三通洞が廃止されるまで住んでいた原茂夫さん(76)に案内をお願いした。

東平地区には当時、約3800人が住んでいた。保育園や小、中学校、病院、演劇場など生活施設は充実していた。住民が家族同然で、第2次大戦中も食糧にそれほど不自由しなかったという。今ではほとんどの施設は撤去され、植林で森はよみがえったが、緑の中に石やレンガで造られた貯鉱庫跡や索道基地跡が残っていた。山ろくの端出場(はでば)まで鉱石をリフトでおろしていた名残だ。

眼下には別子銅山を足がかりに四国有数の工業都市に発展した新居浜市街と瀬戸内海。今昔の歴史がよみがえる光景だ。「インカ帝国の遺跡を連想させるため近年、東洋のマチュピチュといわれるようになったのです」と原さん。仲間と時間があれば道などの整備をしている。

東平閉山のあと採鉱本部が置かれたのが端出場。新居浜市はそこに当時の様子を再現した観光施設「マイントピア別子」をつくった。その呼び物が観光鉱山鉄道。山から海へと鉱石を運んだ蒸気機関車「別子鉱山鉄道下部線」を再現した。

機関車の大きさは当時の約8割。かわいい6両編成はのんびりとかつてのルートである赤レンガのトンネルを抜け、長さ40メートルのドイツ製の鉄橋を渡った。数分間の小さな鉱山鉄道の旅。終点には坑道があり、鉱石を運ぶ鉱車などがあった。

端出場にはもうひとつの重要な産業遺産がある。銅山で必要とされた電力をまかなっていた水力発電所だ。1912年に完成、当時国内最大の落差597メートルの水力を利用し、最大3000キロワットを供給していた。黒ずんだ赤レンガの壁は戦時中、爆撃を避けるため黒く塗装した名残。いずれ内部も公開されるという。

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