「歯、磨いて」「ちゃんと磨けた?」。朝食を終えた6歳の息子を歯磨きに追い立てながら、ふと我に返った。「そういう自分こそちゃんと磨けているとはいえない」。記者(44)の歯磨きは10代からこのかた、ざっと歯の裏表をこするだけの完全な自己流。ここは正しい磨き方を教わり、来るべき老境に備えなければ。
「まず専門家に学ぼう」と立花デンタルクリニック(東京都港区)の歯科医師、立花智子さんを訪ねた。東京都歯科医師会で母子保健医療常任委員会の委員を務める、歯磨き指導の専門家だ。「40代初めは歯磨きを見直すいいタイミングです」。歯垢(しこう=プラーク)が招く歯ぐきの炎症が問題になるのがこれからの年齢なのだという。
歯1、2本ごとに細かく30回振動
歯の根元を支える歯槽骨は年齢とともに劣化する。一方で40代も半ばになると20代、30代より体の抵抗力が落ち、歯ぐきに炎症が起きやすくなる。こうした歯の回りの組織を壊すのが歯垢に潜む細菌だ。放置すれば歯槽のう漏を患って大切な歯を失いかねない。
歯並びは個人差が大きい。自分の歯に適した磨き方を立花先生に聞き、正しく磨けているかを数日後に確認・評価をしてもらうことにした。
基本は歯ブラシの毛先をしっかり歯に当て、歯ぐきではなく歯を磨く。「歯を」磨くことで歯と歯の間、歯と歯ぐきの間にたまる歯垢がとれる。1~2本の歯に毛先を当て、細かく振動させるように30回ほど動かすのがコツだ。
指導を受けた後の週末の朝。鏡の前に陣取り、歯磨き剤を付けず上の前歯2本から磨き始める。ところが教わった通りに1~2本ずつ磨くと、思った以上に時間がかかる。10分が過ぎると口を開けっぱなしでいるのが苦痛になってきた。
そのうちに歯ぐきから出血した。ただ「歯ぐきで炎症を起こしている部分から歯磨き時に出血するのは気にしなくていい」(立花先生)そうだ。ブラッシングで歯垢がとれ、歯ぐきの状態が改善すれば出血も止まるからだ。結局、歯の表裏、奥歯の最奥まで磨き終えた時は21分が過ぎていた。
しかし、もっと効率よく磨かないと毎日は続かない。その証拠に日曜の朝はいつものクセで磨き忘れ、夜は夜でアルコールが入り、ついおざなりな磨き方になる。心を入れ替えて集中して磨くうち、今度は歯ぐきに毛先が当たって痛くなってきた。知覚過敏だ。
そこでライオン歯科衛生研究所(東京都墨田区)の主任歯科衛生士、黒川亜紀子さんを訪ねた。使い始めて数日にして毛先が開いた記者の歯ブラシを見せると、黒川さんは「力を入れ過ぎです」。力加減は「新品の歯ブラシを当てて痛くない程度」が適正という。
歯ブラシでは対応できない歯の間の掃除に、1日に1回は細い糸のデンタルフロスを使う。「食後に爪ようじが必要と感じる」くらい歯と歯の隙間が空いていれば、ワイヤに細かいナイロンの毛が付いた歯間ブラシの出番、といったノウハウも教わる。
その後、意識して軽く磨くと、痛みは数日で引いた。前後して歯の表面のツルツル感を舌先で感じるようになり、歯磨きが楽しくなってくる。フロスや歯間ブラシには戸惑ったが、慣れるしかない。2、3日すると少しうまく使えるようになった。「慣れるとはまる」と実感した。
ある程度、手応えを得たところで自分でできる歯磨きチェックをした。染色剤を使い、磨き残し部分を色で確かめる。“正しい歯磨き”に挑戦し始めて9日。開始前と比べると、染まった部分は明らかに減った。意を強くして翌日に再度、立花先生を訪ねた。
歯垢や歯石があると、歯と歯ぐきの境目にできる「歯周ポケット」が深くなる。ただ、歯磨きによってある程度改善が見込める。今回、10日間を経たポケットの深さを測り、挑戦前と比べて効果を確かめた。
1日1回は15分以上磨いて
結果は別表の通り。正常値の範囲(1~2ミリ)以上に深かったポケットはほとんどが1ミリ以上浅くなった。左下の歯ぐきに埋まった親知らずの手前の奥歯は8ミリが6ミリに。「これなら合格点が出せます」
立花先生は「少なくとも毎食後の歯磨きのうち1回は、15分以上かけて隅々まで磨いてほしい」という。歯磨き剤を付けた歯ブラシでざっと口内を1周、というのがこれまでの自己流。思い起こすと冷や汗がにじむ。
10日間の実績をみて、歯垢を落とす意味を再確認した。歯周病予防はこれからが本番だ。忘れずにまた来年、指導を受けようと誓った。
記者のつぶやき
「しっかり磨き」を続けると口内がさらさらサッパリし、磨かずにいられなくなる。こうなれば歯磨き指導は成功も同然。気づけば歯ブラシや歯間ブラシに凝りそうな自分がいた。80歳まで20本の歯を保つ「8020」運動が盛んだが、実際、歯が丈夫なら老後も楽しかろう。もっとも歯磨きで鏡の中の自分と毎度向き合うことに嫌気が差さなければの話だが……。
(天野賢一)
20代でも8割が歯周病 ポケット内の歯垢残さない
歯周病は歯肉炎と歯周炎に大きく分かれる。歯垢の中にあるブドウ球菌、双球菌などの細菌によって歯ぐきに炎症が起きたのが歯肉炎。症状が進み、歯ぐき、歯槽骨や歯根膜まで炎症が広がったのが歯周炎だ。歯周炎が進むと歯槽骨がなくなり、歯はぐらつき、抜け落ちる。
健康な歯の歯周ポケットは1~2ミリ程度と浅い。そこに入り込んだ歯垢を残したままにすると歯周病が進み、ポケットは深く、さらに歯垢がたまりやすくなる。最近の調査では20代の8割が歯周病を患い、小学生でも4~5割は軽度の歯肉炎を中心とした歯周病という。
歯の表面の歯垢は野菜をかじることなどでも取れるが、ポケット内部の歯垢や歯石は歯科でないとなかなか取れない。
[日経プラスワン2011年10月1日付]
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