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長崎・対馬 朝鮮通信使と外交の島

2011/8/17 日本経済新聞 夕刊

朝鮮王朝が日本に送り出した外交・文化使節団「朝鮮通信使」。最後の訪問から今年で200年になり、長崎県対馬市では秋に記念行事が催される。江戸幕府から通信使の接待や警備を任されていた対馬藩には苦難が多かった。儒者で同藩の外交官、雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)は朝鮮通信使に随行するなど当時の外交を支えた。芳洲と通信使ゆかりの史跡を訪ねた。

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厳原港まつり対馬アリラン祭で再現された朝鮮通信使の行列

厳原港にほど近い対馬市役所1階にある対馬観光物産協会。事前に申し込んでいた対馬観光ガイドの会「やんこも」の藤井敦子さん(55)と待ち合わせた。「やんこもは対馬の方言で、何度も(来て)の意味ですよ」と笑顔で教えてくれた。

最初に長崎県立対馬歴史民俗資料館を訪れた。入り口横に朝鮮通信使の碑がある。観光客をみると、韓国から団体客、日本人客は家族連れが多い。

道から離れて目立たない所に芳洲の顕彰碑があった。顕彰碑には横書きで「誠信之交隣」と大きく記されている。「1990年に韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領(当時)が来日した際に(演説で)芳洲を取り上げ、それから対馬で芳洲について学ぶ人が増えました」と藤井さん。

誠信之交隣とは互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる意味で、芳洲の外交哲学を表した言葉だ。顕彰碑は大統領来日の約3カ月後、地元の有志によって、通信使の碑は92年に日韓の有志によって建てられた。

資料館には古代から近世の対馬の資料が展示され、江戸時代に12回来日した朝鮮通信使の年表、釜山にあった対馬藩の外交拠点の絵図(復元)などがある。通信使の行列の絵巻(同)には朝鮮側の重要な役職、従事官が描かれていない。藤井さんは「1811年の最後の通信使のみ従事官が参加しておらず、この絵巻はその時の行列を描いたのではないか」とみる。

資料館から山手に上がると、対馬藩主だった宗家の墓所、万松院(ばんしょういん)に着く。鬱蒼(うっそう)とした森に10代目と19~32代目の藩主らの墓がある。「前田家、毛利家の墓と並ぶ日本三大墓所」と説明されて納得するほどの広さだ。

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