三重・松阪 木綿と豪商のふるさと 機織り体験で江戸気分

2011/5/28

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三井家など江戸時代に多くの豪商を生んだ三重県松阪市。彼ら「松阪商人」に富をもたらしたのが、特産品の松阪木綿だった。紺地に縦じまの模様に代表される当時としては斬新なデザインは、江戸で大ブームを巻き起こした。明治以降は衰退したが、地元有志の努力で復活。観光の目玉のひとつになっている。

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「松阪商人の館」(左)がある旧参宮街道の周辺には古い街並みが残る

松阪牛が売りものの飲食店が並ぶ繁華街から少し入ると、タイムスリップしたような感覚にとらわれた。伊勢神宮に至る旧参宮街道(伊勢街道)。古い街並みが残る通りを進むと、白い壁と瓦屋根の立派な門が現れる。「現金掛け値なし」の商法で後の三井財閥の基礎を築いた三井高利(1622~1694)ゆかりの屋敷跡だ。非公開だが今も高利が産湯に使ったとされる井戸や一族の供養塔などが残り、「三井家発祥地」として松阪市の史跡に指定されている。

同じ通りにある小津清左衛門の屋敷は「松阪商人の館」として公開されている。清左衛門は1653年に紙問屋を開業し、40店以上を束ねるほどの成功を収めた。2階建ての母屋は太いはりと高い天井が特徴で、部屋数は20余り。伊勢参りの旅人に炊き出しをした大きなかまどがいくつも残り、蔵から見つかった千両箱ならぬ万両箱も展示され当時の豪商ぶりがうかがえる。

松阪は羽柴秀吉の命で1584年に南伊勢の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が城を築き、「松坂」と名付けたことに始まる。後に松阪は紀州藩の領地となるが、松阪市立歴史民俗資料館の仲村隆彦館長は「代官預かりとなって城主がいなかったため、自由な商いができた」と、才気あふれる松阪商人が生まれた背景を説明する。

こうした商人によって広められたのが松阪木綿だ。蒲生氏郷が松阪に招いた伊勢の廻船(かいせん)問屋、角屋家がベトナムとの貿易を始め、この時もたらされたデザインを取り入れて松阪木綿が生まれたという。松阪木綿の特徴である「縞(しま)」は、貿易を意味する「島渡り」が語源ともいわれる。

江戸に店を持つ松阪商人は松阪木綿を大々的に販売。粋を重んじる江戸っ子の心を捉え、年間五十数万反も売れたという。

松阪木綿は明治以降に衰退して姿を消す。しかし、30年ほど前に結成された2つの地元ボランティア団体によって復活した。松阪木綿の手織り技術伝承を目的に結成された「ゆうづる会」。もう一つが郷土の文化遺産掘り起こしと地域振興を目的にした「あいの会『松坂』」だ。

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