一人ではない高嶋哲夫

3月11日、金曜日の午後。

提供元=本社/使用条件=通常/高嶋(タカシマ)/哲夫(テツオ)/男/入手日=2004/10/24/所属肩書=作家

僕はいつものようにスポーツジムに行き、買い物をして、家に帰ってテレビをつけた。目は画面にくぎ付けになった。

「水平線いっぱいに広がる巨大な泡立つ白壁が、海上を滑ってくるのがくっきりと見えた。その水の壁は、砂浜に数十艘(そう)並んだボートを一瞬のうちに飲み込み、砂を巻き込みながら走ってくる――」

これは今回の津波の描写ではない。拙著「TSUNAMI」の一場面だ。小説で描いた災害が、いやそれよりも悪い事態が目の前で起こっていたのだ。

僕はただテレビに目を向けたまま、部屋の中を歩き回るだけだった。チャンネルを変えてもどこも同じ。画面の中の惨事は、リアルタイムで日本の東北で現実に起こっているのだ。

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16年前、僕は阪神・淡路大震災を経験した。

倒壊し瓦礫(がれき)の山となった町、爆撃の後のような焼けた町を歩いた。そして、その瓦礫の中に立ち尽くす人々を見て茫然(ぼうぜん)とした。

以来、いつかこの体験を書かなければと思いながら、地震関係の資料を集め続けていた。しかし、冷静に向き合うまでには時間がかかり、なかなか手につかなかった。

一瞬の揺れで、6千人以上の人が亡くなり、約10万棟が全壊し、約7千戸が焼失した。淡路島から阪神地区にかけて、ほぼすべての人が何らかの被害を受けている。家族、親戚、友人を亡くした方も多い。書くものは、その方たちが読んでも納得してくれるものでなければならない。

「M8」を書き上げるまでに9年かかった。その過程で、日本は地震国であり、地震の活動期に入ったといわれ、今後多くの地震が起こる状態にあるということを知った。少しでも災害への備えに役立てば、という気持ちで書き上げたのが、「TSUNAMI」だった。

だが、現実は想像をはるかに超えていく。マグニチュード9という巨大地震に津波が加わった凄(すさ)まじさを突きつけられた。そしてさらに、原子力発電所の危険性まで加わったのだ。

阪神・淡路大震災のときはモノに対する空しさを強く感じた。家は倒壊し、モノは壊れる。なにより心の支えとなったのは、人との絆を感じたときだ。

遠い地に住む忘れかけていた友人からの安否を気遣う電話に感動し、バス停で子供やお年寄りの手を取って先に乗せる、そんなささやかな行為にさえ胸が詰まった。「がんばって」「ありがとう」の一言に涙が出そうになったこともある。

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そしてそれは、今では世界的な広がりで伝わってくる。インターネットをのぞいてみると、こんな趣旨のメッセージが載っている。

「日本に知り合いはいないが、大変な衝撃を受けている。ニュースを見ているだけで悲しく、生きていることがどんなに幸運なのかと考えさせられる」

「命や家を失った人々が気の毒でたまらない。安らかにお眠りください。心からお祈りします」

英国人の声だ。ほかにも次のようなコメントがある。

「日本人は勇気ある人々だ。常に自然の脅威と闘ってきた。彼らの信念と意志はどんなことがあっても挫(くじ)かれはしない」

「日本とその品行正しい勤勉な人々を神が守ってくれますように。きっと打ち勝てるよ」

「あなたは一人じゃない。私たちが心を寄せ、そうして祈るから」

「日本は最も偉大な国だろう! この災害だって何とか乗りこえる。世界の終わりがきても彼らなら何とかするはずだ」

「イタリア人は君とともにいる。がんばれ、君たちは凄(すご)い人たちだから」

「涙が止まらない」

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そう、僕も涙が止まらなくなった。

世界が日本の被災地を見守っている。驚くべき悲しみの前に唯一、心温まる思いだ。

地震は非情だ。揺れで人と建物を押しつぶし、生き残った人も裸で路上に放り出す。しかし、家族を亡くし、友人を亡くし、家や財産をなくした人も、生き続けなければならない。

でも、皆さんは一人ではない。日本中の目が、世界中の目が見守っている。どうか、勇気を持って生き続けてほしいと願う。

最後に、僕が一番感動した言葉をかいつまんで紹介しよう。

「世界の人々が考え直すときが来た。殺し合いに力を使うのでなく、生き残った人々に心を伝えることこそ癒(いや)しの道だ」

「人種、宗教、国籍を超えて、人であることに変わりはない。目を覚まそう。自然を前に放り出されたら、殺し合いなんてしていられないんだから。お互いの痛みを和らげることから始めよう」

[日本経済新聞朝刊2011年3月18日付]

たかしま・てつお 小説家。1949年岡山県生まれ。慶大大学院修士修了。日本原子力研究所研究員、カリフォルニア大学留学を経て執筆を開始。99年「イントゥルーダー」でサントリーミステリー大賞。神戸市在住。