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鹿児島市 生原稿や洋服、遺品多数 向田邦子の創作の原点

2011/2/5 日本経済新聞 夕刊

作家の向田邦子は生前、父の転勤に伴って家族で暮らした鹿児島市に深い愛着を持ち続けた。小学校3年生から5年生にかけて、足かけ3年を過ごしただけの鹿児島になぜ、引かれたのだろうか。ゆかりの場所を訪ね歩いた。

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仙巌園からは鹿児島の象徴、桜島がくっきりと見えた

辛口エッセーの達人、山本夏彦が「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と絶賛したデビュー作「父の詑び状」にも鹿児島が登場する。例えば、その中の1章「薩摩揚」にこんなくだりがある。

「『人の気持ちのあれこれ』を綴(つづ)って身すぎ世すぎをしている原点(中略)もとのところをたどって見ると、鹿児島で過ごした三年間に行き当る」

城山町のかごしま近代文学館を訪ねた。向田の遺族が1995年から遺品の寄贈を始め、生原稿、脚本、作品の構想メモ、洋服、靴、ハンドバッグ、食器など総計約8500点が集まった。母のせいさんは「邦子を鹿児島に嫁がせます」と話したという。

学芸員の井上育子さんは「鹿児島在住は正確には1939年(昭和14年)1月から2年3カ月。一家そろって東京から異国のような土地に来て、思い出がいい色に染まっているのでしょう」と話す。多感な思春期にさしかかり、東京にいたころはすぐれなかった体調も回復して、楽しい毎日だったのだろう。

文学館は現在、休館中。3月下旬の新装開館に合わせて「向田邦子の世界」と名付けた展示室を新設する。これまでは鹿児島ゆかりの海音寺潮五郎、林芙美子、椋鳩十、梅崎春生、島尾敏雄とともに展示していたが、「個室」に移り、50点ほどだった常設展示が2倍になる。

井上さんは「近年、向田さんのライフスタイルに関心を寄せる人が多いけれど、ドラマや小説など創作の魅力をもっと深く伝えていきたい」と話す。その井上さんが「近くに向田ファンには見逃せない場所がありますよ」と地図を渡してくれた。

まず文学館から歩いて3分の照国神社へ。鹿児島で最も参拝客が多い神社で、向田も初詣に行き、遊んだ場所で、エッセーにも出てくる。神社から300メートルほど、平之町の静かな住宅街の一角に「向田邦子居住跡地の碑」が立っていた。

保険会社の支店長に栄転した父とともに一家7人が暮らした社宅の跡だ。碑の説明文には「故郷の山や河を持たない東京生まれの私にとって、鹿児島はなつかしい『故郷もどき』」(「眠る盃」より)とあった。

社宅跡は高台にある。向田はエッセーで「縁側に立つとすぐ前に桜島があった」と書いているが、今ははっきりとは見えない。坂を下って5分ほど歩くと向田が通った市立山下小学校(当時は尋常小学校)がある。昔の校舎は空襲で焼けてしまったが、校庭から子どもたちの元気な声が響いてきた。

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