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京都・長岡京市 ガラシャの魂息づく

2011/1/22 日本経済新聞 夕刊

「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」。この辞世の句を残し、壮絶な死を遂げた細川ガラシャ。戦乱の世にはかなく散った彼女のりんとした生き方は当時の東西の女性に大きな影響を与えた。ゆかりの地を歩くと今も彼女を愛し、しのび、顕彰する人たちの姿がみられた。

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勝竜寺城公園内にある玉と忠興の仲むつまじい像

明智光秀の三女として生まれた玉(のちのガラシャ)は16歳の時、織田信長の肝いりで同い年の細川忠興と祝儀を挙げた。当時のならいである政略結婚だが、京都府長岡京市の勝竜寺城で幸せな新婚生活を送る。公園として整備された城跡にたたずむ銅像の2人は仲むつまじい。

勝竜寺城に玉が滞在したのはわずか2年ほど。継体天皇や菅原道真など同市ゆかりの歴史的偉人は少なくないが、長岡京市は1992年から「長岡京ガラシャ祭」を毎年秋に開いている。玉を主役にすえたのは市民の要望が強かったからだという。

玉を顕彰する市民の動きは活発だ。「郷土史は風化していきます。市民がふるさとに誇りを持てるよう、昨年から彼女の人生を紙芝居にして小学校で出前授業をするようになりました」と長岡京市ふるさとガイドの会の岩岸直行さん(67)は語る。

勝竜寺城で過ごした玉の幸せは長く続かなかった。暗転したのは父が起こした本能寺の変。謀反人家族は根絶やしにされる時代。だが幸運にも忠興は玉を丹後の山奥に隠した。賢明で絶世の美女といわれた妻への並々ならぬ思いからだった。

幽閉の地は京都府京丹後市の味土野。丹後半島の山懐にいだかれた小さな広場に顕彰碑がひっそりと立っていた。2人の幼子と引き離され追っ手から隠れるように暮らした日々。次第に信仰に引かれるようになった。

ここにも玉をしのぶ人たちがいた。京都府宮津市のカトリック宮津教会が中心となり毎年春に信者やファンが現地に赴きミサを行う。2年前には宮津市民が「丹後宮津桔梗の会」を結成した。「みんなに知ってほしい」と中田正良さん(67)らは講演会の企画などに余念がない。

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