早稲田・慶応創設2人の旧居 佐賀市、大分・中津市

慶応義塾大学の福沢諭吉と早稲田大学の大隈重信。2人は九州で幼年期から青年期を過ごした。ともに幼いとき父親を亡くし、母の愛に包まれて勉学に励んだ。2人の偉人のふるさと、大分県中津市と佐賀市にある旧居を訪ねた。

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記念館への入り口でもある福沢諭吉の旧宅

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり」。JR中津駅を出ると福沢の立像が目に飛び込む。「学問のすゝめ」の初編は当初、西洋の学問を学ぶ中津の若者のために1871年(明治4年)、書かれたものだ。

大阪の中津藩蔵屋敷で生まれた福沢は1歳で父親を亡くし、母や兄姉とともに藩地・中津に移り住む。国の指定史跡「福沢諭吉旧居」は長崎に蘭学を学びに行く19歳まで暮らした平屋の家だ。

広さは約100平方メートル。苦しい生活の中で母のお順は「いつも傍らに一升か五合ほどの米をおいておき、(中略)乞食(こつじき)などが門の前に立つと、忙しい時でも施(ほどこ)しをしたという」(北康利著「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」)。施設を管理する福沢旧邸保存会の上永裕正事務局長(60)は「慈悲深い母の姿が諭吉の人格形成に大きな影響を与えたのでしょう」と話す。

隣の土蔵では福沢が自ら造ったともいわれる2階の勉強部屋(約9平方メートル)の様子を再現している。薄暗い部屋で福沢に見立てた少年の人形が窓辺に向かって座り本を読んでいる。

渓谷がみごとな市内の景勝地、耶馬渓にもゆかりの地がある。中津に帰ったとき「青の洞門」で知られる付近の土地が売りに出されていることを伝え聞き、福沢は景観保全のため土地の一部を買い取った。民間人が資金を出しあって自然環境を守るナショナルトラスト運動の先駆けだ。