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熊本・山鹿 八千代座、100年の栄華 旦那衆が支えた町の象徴

2010/8/28 日本経済新聞 夕刊

熊本と小倉を結ぶ豊前街道。かつて薩摩島津家、肥後細川家などの大名の参勤交代の行列が行き交った。道中随一の宿場町だったのが温泉地、山鹿。その町のシンボルといわれる芝居小屋、八千代座が開設100年を迎えるというので訪ねた。

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天井に広告がずらりと並ぶ八千代座(熊本県山鹿市)

豊前街道から少し入ると三角形の白い切り妻屋根が美しい八千代座。板敷きの正面には小さな穴が2つ。切符売り場だ。当時の様式をそのまま引き継いだ造りである。

歴史の中に分け入るような気分で木戸口をくぐると、思わず「おっ」と声を漏らしてしまう。見上げる先の格子天井に極彩色鮮やかな広告画がびっしり。60枚近い。「呉服商・江上屋本店」「石炭、肥料、木炭・大森商店」などの毛筆字の傍らに和服姿の懐かしい男女の絵が並ぶ。呉服や履物、酒の店が多い。当時の町並みまで目に浮かぶ。

「原画が23枚残っていたので再現できました」と元山鹿市立博物館長の木村理郎さん。「小屋全体の復元年代を大正12年(1923年)に設定してます」

歌舞伎や演奏会などでにぎわった八千代座だが、昭和40年代には雨漏りがするほど老朽化。1988年に国の重要文化財に指定され96年から町を挙げての大修理に着手。5年後には升席や花道、すっぽん、シャンデリアなど華やかな姿がよみがえった。

広告絵の店の多くは建設時の出資者となった地元旦那(だんな)衆と重なる。向かいの資料館「夢小蔵」で八千代座の棟札を見つけた。旦那衆の名と並んで、建築担当者・木村亀太郎とある。

「亀太郎は建築家であり広告絵も描き、小屋の支配人を40年近く務めた興行主。大変な傑物です」。元館長の木村さんの声に力が入る。亀太郎は親の回船問屋を引き継いだが、「女学校や製糸工場なども設計した。もっと業績が評価されてもいい」。

当時の山鹿は、有明海に注ぐ菊池川沿いの米の積み出し町として栄えた。八千代座のガイド、藤田たかこさんは「電話が熊本市に次いで県内2番目に通じたんですよ」と誇らしげに観光客を案内する。

歌舞伎の坂東玉三郎さんの連続舞踊公演も復活を後押しした。修理期間を除いて15年も続けて来訪。「木の温かみがあり、距離が近いので演技が直接的にお客さんに伝わる」と玉三郎さんは公演冊子の中で語っている。木村さんが教育委員会文化課に在職中に「楽屋など修理すべき所を指摘してくれた。愛着があるのだと感じた」。今年は100周年記念として中村獅童さんと10月末から共演する。

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