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平家伝説と巨樹の里 宮崎県椎葉村 神楽など伝承文化豊か

2010/4/3 日本経済新聞 夕刊

平家落人伝説で名高い宮崎県椎葉村は、西日本有数の秘境だ。多くの巨樹をはじめ緑豊か。営々と築かれてきた伝統文化も見事で、旅行者を魅了する。

鶴富姫と那須大八郎の悲恋伝説の舞台、鶴富屋敷
樹高約54メートルの八村杉

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日向市から国道327号を西に車で走ること約2時間。耳川に沿ってくねくねと曲がる山道の両側には、村人が「空が四角い」と言うように山肌が迫り、遠くに所々山桜がぽつんと咲いている。この山桜、平家の残党が春がすみの中に見て、源氏の追っ手の旗と見間違え、「もはやこれまで」と、自害して果てたといういわく付き。

村の中心、上椎葉地区に着くと、高台に目指す鶴富屋敷があった。これこそ、平清盛の末裔(まつえい)、鶴富姫が那須大八郎宗久と暮らしたとされる屋敷。

弓の名手、那須与一の弟、大八郎が平家掃討を命ぜられ、この地を攻めた。しかし戦意を失い、質素に生きる残党の姿を見て殺りくを断念、しばらく暮らすうちに鶴富姫と恋仲に。やがて鎌倉から召還の命を受け、泣く泣く帰国。鶴富姫は女子を産み、那須姓を名乗って、家を継いだという伝説がある。鶴富姫の悲話は吉川英治の「新・平家物語」最終巻にも登場する。

那須家32代当主が現在、管理する屋敷は築後約300年で、「一列型平面形式」と呼ばれ、4室が横一列に並ぶ椎葉村の民家独特の様式。国の指定重要文化財だ。当初は茅葺(かやぶ)きだったが、1963年、火災防止のため銅板葺きになった。

屋敷の西隣には昔の民家風の椎葉民俗芸能博物館があった。春夏秋冬の神楽、踊り、民謡など村の行事や芸能などを立体的に展示、椎葉村の四季の暮らしを体感できる。

椎葉村は巨樹の里としても見どころが多い。上椎葉地区から北東に位置する鹿野遊(かなすび)地区にある十根川神社の境内奥に樹齢約800年の八村(やむら)杉がそびえていた。この地に最初に陣を構えた那須大八郎が植えたとされる。国の指定天然記念物。高さ54.4メートル、幹回り19メートル。高さでは国内有数の杉という。保護のため約2メートル客土されているが、案内してくれた元椎葉村助役の黒木勝実さん(73)は「子ども時代、木の洞穴に入ったり、根っこの上でよく遊んだ」と回想する。

十根川神社のやや東の山腹にある大久保のヒノキも、八村杉に負けず劣らず壮観だ。樹齢約800年、樹高32メートル、幹回り9.3メートル。無数の手足のように枝が四方に伸びる様子は神々しささえ感じる。「椎葉村に巨樹が多いのは年間雨量が約3000ミリで土地が肥よくなため」と黒木さん。

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上椎葉地区から西に向かうと、巨大なダムが現れた。上椎葉ダム。高さ110メートル、幅341メートル。水力発電用で、55年に完成した時には「世紀の壁」と呼ばれた。約5年間の工事には延べ約500万人が動員され、椎葉村は飲み屋や遊郭が立ち並ぶ「不夜城」と化した。ダム湖の景色は美しく、吉川英治が「日向椎葉湖」と命名。湖畔の高台は公園で、満開のソメイヨシノが見事だ。

日向椎葉湖のさらに奥に「日本民俗学発祥之地」という石碑が立っていた。1908年、椎葉村を訪れた民俗学者、柳田国男を案内した中瀬淳村長の旧邸の庭先。柳田は「遠野物語」よりも1年早く、椎葉村の狩猟民俗についての著書をまとめた。

熊本県との県境の尾向(おむかい)地区に、焼き畑が広がっていた。ソバ、ヒエ・アワ、アズキ、ダイズを年ごとに輪作、その後は別の焼き畑に移る伝統的焼き畑農業。今では日本でほとんど見られなくなったものだ。椎葉クニ子さん(86)は「47年に嫁入りしてから1年も欠かしたことがない」と話す。

(編集委員 木戸純生)

[日本経済新聞夕刊2010年3月31日付]

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