2014/7/28

音楽レビュー

6月27日、横浜みなとみらいホール。神奈川フィルは1970年の発足から数えて第300回の定期演奏会を迎えた。川瀬が指揮したのはマーラーの「交響曲第2番」。文字通り「復活」の副題を持つ大曲で合唱(神奈川フィル合唱団)、独唱(ソプラノ=秦茂子、アルト=藤井美雪)を伴う。

神奈川フィルが復活を託す川瀬

正直、神奈川フィルの合奏精度やソロの力量にはまだまだ不安なところもあるが、川瀬は細かな瑕疵(かし)に足をすくわれることなく大局を見すえ、並外れた集中力と情熱、今までの誰とも違う斬新な感覚で長丁場を見事に乗り切った。日本のオーケストラの多くが独唱者を歌手団体に「丸投げ」するなか、川瀬が秦、藤井を自身の解釈に沿って指名したのも画期的だった。大胆不敵。じっくりトレーニングに当たれば、川瀬と神奈川フィルを聴きに横浜まで出かけるファンは確実に増える……。余韻には、そんな予感が漂っていた。

神奈川フィルハーモニー交響楽団の第300回演奏会でマーラーの「復活」交響曲を指揮する川瀬賢太郎(撮影・藤本史昭)

指揮者の世界地図は目下、急激な勢いで塗り替えられている。

2014年の幕開け早々、1月20日にはイタリアの指揮者クラウディオ・アバドが80歳で亡くなった。7月13日には今年2度の来日が予定されていた米国の指揮者、ロリン・マゼールが84歳で世を去った。マゼールは10年前に没した指揮台のカリスマ、カルロス・クライバーと同年(1930年)の生まれで10年長く生きたが、命日は全く同じとなる奇縁。7月16日はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め「帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89年)の没後25周年の命日だった。カラヤンの後任に選ばれたアバド、アバドに敗れたマゼールとも天に召され、さびしくなった。

マゼールが初めて日本を訪れたのは1963年。東京・日比谷の日生劇場「こけら落とし」公演でベルリン・ドイツ・オペラとともに現れ、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」日本初演を指揮した。33歳だったが、8歳でデビューして四半世紀、30歳の時には史上初の米国人指揮者としてワーグナーの聖地「バイロイト音楽祭」に招かれているので、「若手抜てき」とは全く異なる人選だった。日生劇場の開場にかかわった浅利慶太、三島由紀夫、石原慎太郎、小澤征爾ら日本の文化人、芸術家も当時は20~30代。第2次世界大戦を通じて上の世代にポッカリと穴が開いたこともあり、戦後社会は若者の活躍できる余地が今より大きかった。

そもそもクラシック音楽の分野では、優秀な人材が特定の年代に集中する傾向がある。巨匠たちが相次ぎ世を去ると若手が一斉に台頭し、彼らが円熟するまでの端境期には、過去の名演を懐かしみながら「巨匠不在」を嘆くジャーナリズム、ファンが目立つという展開の繰り返しである。長幼の序を重んじる日本社会の場合、世界平均よりも長老崇拝が著しいかもしれない。

一人の指揮者が真の巨匠に育つには時間がかかるので、スタートは早いに越したことはない。「20世紀最高の指揮者」とも呼ばれるウィルヘルム・フルトベングラーがベルリン・フィル、ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団の首席指揮者に就いた時は、36歳。小澤征爾がボストン交響楽団の音楽監督に抜てきされたのは38歳。ベルリン・フィルの現芸術監督、サイモン・ラトルは25歳で英バーミンガム市交響楽団首席指揮者に招かれた。日本でも東京フィルハーモニー交響楽団を例にとると、尾高忠明(現名誉指揮者)が27歳、大野和士(同)が32歳の年にそれぞれ、常任指揮者に就いている。

アラサーの山田や川瀬に、「未来の巨匠」の夢を託すファンが日増しに目立ってきたのも当然だ。その成長を同時体験するつもりで神奈川フィルや、山田が正指揮者を務める日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会へ日常的かつ定期的に通うのは、実におしゃれな「精神の投資」といえる。

(電子報道部)

注目記事