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20世紀の傑作オペラ「死の都」の日本初演 びわ湖ホールと新国立劇場が激突

2014/2/10

 「死の都」(Die tote Stadt)という題名のオペラ、ご存じですか?

 20世紀初頭のウィーンで「神童」と騒がれた作曲家、エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(1897~1957年)が23歳の若さで放った奇跡の大ヒット作である。

 原作はベルギーの象徴派詩人、ジョルジュ・ロダンバックの小説「死都ブリュージュ」(1892年)。古都の片隅で亡き妻マリーの面影を追い続ける男パウルと彼女に生き写しのダンサー、マリエッタの愛憎劇を破格なまでに美しく、熱い旋律とともに描く。

■20世紀冒頭に現れたウィーンの神童作曲家

 日本では1996年に演奏会によって初演されたが、舞台初演は今年3月の滋賀県立劇場びわ湖ホールまで持ち越された。その数日後からは東京の新国立劇場でも別の演出が上演される。日本でもついに、名作の仲間入りを果たす時がきた。

カスパー・ホルテン演出の舞台に浮かび上がる「死の都」のパノラマ(撮影=Stefan Bremer、新国立劇場提供)

 コルンゴルトは父の音楽評論家、ユリウスの下で早期英才教育を受けた。作曲の師のアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーがオーケストレーションを手伝い、11歳で書いたバレエ音楽「雪だるま」はウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)で総監督のグスタフ・マーラーがハプスブルク帝国最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世臨席の御前演奏を指揮した。16~18歳で作曲した最初のオペラ、喜劇「ポリクラテスの指環」と悲劇「ヴィオランタ」の2本立てはイタリアの大作曲家ジャコモ・プッチーニに絶賛された。オペラ作家への道を確かにしたコルンゴルトが渾身(こんしん)の力をこめ、創作に取り組んだのが「死の都」である。台本作家として「パウル・ショット」の名があるが、主人公パウルと、楽譜出版社ショットをかけた偽名。実際にはコルンゴルト父子が共同で執筆した。

 ロダンバックの小説はフランス語で幻想的な雰囲気とともに展開し、最後はパウルがダンサーのマリエッタを殺してしまう。ドイツ語のオペラ台本を書くに当たり、コルンゴルト父子は幻想のベールをはいだ。深層心理の分析により当時のウィーンでもてはやされた精神科医、ジークムント・フロイトの手法も参考にしながら殺人までの物語の大半をパウルの夢の中とし、最後は喪失感を克服しブルージュを出るハッピーエンドに置き換えた。

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