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最初は自衛官志望だった!? バリトン歌手 甲斐栄次郎

2014/2/11

 生まれたのは熊本市。自宅から約1kmのところに自衛隊の駐屯地があった。転校生は皆、自衛官の家の子どもたち。演習では自宅の前を行進していくものだから、小学生のころは「将来、自衛官になろう」と思っていた。

■兄の影響で中学の合唱部へ

 歌を始めたのは、中学に入ってからだった。兄が合唱部にいて、男子生徒が足りないと聞かされていた。

東京芸術大学進学を目指し、歌の勉強に励んでいた高校生2年生のころ(1986年、熊本で)

 入部は卒業した兄と入れ替わり。ご多分に漏れず、NHK主催の全国学校コンクール合唱の部(Nコン)を目指し特訓に励んだが、熊本県の代表にはなれなかった。それでも仲間と歌う楽しさ、喜びに目覚めた。

 中学3年生で進路をあれこれ考えていた時、合唱部担当の先生に「いい声をしているので、声楽家を目指さないか」と勧められた。

 家で兄が買った不世出の大テノール歌手、マリオ・デル・モナコのLP盤があった。初めて聴く輝かしい声にただただ、打たれた。中3の終わりころにはもう、オペラ歌手を目指すため東京芸術大学への進学をはっきり、目標に定めていた。

 音楽家のまったくいない家系だったが、両親は、私たち兄弟に小さいころからピアノを習わせてくれた。兄も音楽を職業とし、中学校で音楽を教えている。

 私は芸大に入ったばかりのころ、卒業してもすぐにオペラを歌えるようになるものではないと知った。歌えるようになるためには、時間をかけて、あらゆる経験を積むしかない。

熊本市出身。熊本城にはもちろん、格別の愛着がある(撮影=甲斐栄次郎)

 大学院を出ると同時に声楽家集団の二期会に所属し、文化庁が二期会に運営を委託していた「オペラ研修所」(第11期)で訓練を積んだ。その後、ニューヨークとボローニャに留学し、ウィーンでようやく、専属オペラ歌手としての職場を得た。

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