ウィーン国立歌劇場専属で夢中に歌った10年間バリトン歌手 甲斐栄次郎

ウィーンのオーディションに受かり、劇場での仕事が始まると同時に思い知ったのは「日本とは比べることのできない歴史がある」という事実だった。日々「生きている」「動いている」大組織であり、コレペティトール(指揮者の能力を備え、歌手に稽古をつけるピアニスト)やプロンプター(歌手に歌い出しの言葉のきっかけを与えたり、テンポの修正などを行ったりする専門家)らスタッフ全員が「職員」として固定給で毎日、働いている。当時のイオアン・ホーレンダー総裁は長きにわたり強大な権力を握り、毀誉褒貶(きよほうへん)付きまとったが、とにかく劇場のすべてを仕切る能力にたけた人物だった。

グルベローヴァ、ドミンゴら大歌手と同じ舞台に立つ

自分も「オペラ歌手としてサラリーマンになれた」と、感慨を抱いた。劇場に毎日通い、どんどん新しい役を学ぶ。一つの役の楽譜を読み、覚え、舞台に出て演じられるようになるまで、コレペティトールが何日でも付き合ってくれる。ウィーン国立歌劇場に至るまで、レパートリーは10役程度しかなかったため、特に最初の3シーズンくらいは出演やカバー(代役としての控え)を務める傍ら、役柄の吸収に追われた。不思議なことに劇場から与えられた役は、やっていきたいと思っていた方向のものとなっていた。劇場側と特段の交渉をするでもなく、あるがままに受けていこうと決め、「どこまで進めるか」に賭けた。

ウィーン国立歌劇場でオペラ、「ランメルモールのルチア」(ドニゼッティ作曲)のエンリーコ役に扮して

結果として10シーズンで習得したレパートリーは60役を超え、実際に舞台で歌ったのは42役。ドニゼッティでは「ランメルモールのルチア」のエンリーコ、「愛の妙薬」のベルコーレのほか、大ソプラノ歌手のエディタ・グルベローヴァが主演した「ロベルト・デヴェリュー」のノッティンガム公爵も演じた。数シーズン前には、レナート・ブルソンやロベルト・フロンターリらイタリアの名歌手の当たり役だった。

プッチーニでは「ラ・ボエーム」のマルチェッロ、「マノン・レスコー」のレスコー、「蝶々夫人」のシャープレス。ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」ではパオロの代役が舞い込み、トーマス・ハンプソンの題名役と共演した。この「シモン」のプロダクション(ペーター・シュタイン演出)では最近、バリトンに芸域を広げた「3大テノール」のプラシド・ドミンゴが題名役を歌った再演にもパオロで加わった。とにかく、CDでしか知らなかった大スターたちと一緒の舞台に立ち、歌えたことには心から満足している。

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