2005年に改装し、再開業したとたん、多くの人に歓迎された。こうした旅館を大人の客は待っていたのだ。稼働率は当初ほぼ10割近くが続き、やがて85%を保つ。採算ラインを大きく上回る成功だった。
そんな中で、2011年3月11日の東日本大震災が起こった。東京と米沢を結ぶ新幹線が止まった。仙台から調達していた燃料も入らず、被災者の受け入れもできない。余震に原発事故と、電話もメールもキャンセルの連絡ばかり。「どんどんお客様が遠のいていく」。そんな気持ちで、米沢に避難してきた人たちへの炊き出しのボランティアに従業員と出かけた。
震災から2週間たったころ、新規の予約が入った。「えっ」と驚いた。宮城県の人だった。この春、知人がある人生の節目を迎える。今ふだんの生活もままならない状況だが、ぜひお祝いに泊まりにいきたい。「予定日までに再開していることを信じて、予約を入れます」。そうあった。
「ありのまま」の姿勢に引かれるリピーター
「自分たちは求められている」。目が覚めた気がした。ゆっくりくつろぐ時間を必要としている人もいるんだ。前向きな気持ちになり、3月末に営業再開。その後も予約と燃料の状況などで休業と営業を繰り返した。山形新幹線の運行が再開し、鉄橋を走る列車を見て「頑張れ」という気持ちになった。
5月の連休はリピーターで埋まった。「どうだった?」「大丈夫?」と声をかけてくれる。「私たちが、リピーターの方々に救われたんです」
このころを機に姿勢が変わった。以前は言葉遣いも「何々でございます」。ホームページにも料理や部屋の情報は少なかった。来てみて初めて分かる、という謎めいた演出だ。そこに、気取りがないとは言えなかった。
いまは違う。どんどん情報を出す。利用者の感想を直筆で載せる。自らふだんの言葉でブログも書き、ありのままを見せる。「うちに一流や高級という言葉は似合わない。リラックスできる宿にしたい」。
稼働率も7割弱まで回復した。客に手紙を出し、客からも手紙が来る。「今年は行けなくて残念」という内容に、まるで親せきみたいだ、とうれしくなる。ロビーのカウンターに立ち、湯上がりの客にコーヒーを振る舞う。客との距離が震災以降縮まったみたいだと感じている。
外部の人には「庭の一部をつぶし、もっと部屋数を増やしたら」と助言を受ける。しかし、その気はない。「これ以上の規模になると、できることが限られてしまう」。皆が特別な時間を過ごし、満足して帰ってほしい。そう願うからだ。