アフリカで高級バッグ作り 海外協力隊から転身
女子力起業(7)
編集委員 石鍋仁美
流行が終われば捨てられるのを前提にした化粧品。これは自分のやりたいものづくりじゃない。そう気づいたデザイナーの鮫島弘子さんは、青年海外協力隊の一員としてアフリカのエチオピアに旅立つ。この地で知った素材を生かし女性用の高級バッグを作ろうと、自分の会社「アンドゥアメット」を昨年設立。現地工場も稼働した。いま予約待ちの人も多い人気商品になっている。
エチオピアの色彩感覚の日本の伝統ミックス
商品の一例が「Big Hug(ビッグ・ハグ)」。「世界最高峰」の素材と自負するエチオピア産の羊の革を使った、ふわふわと柔らかいトートバッグ。「ぎゅっと抱きしめると、絹のようになめらかな肌触りと革の香りを楽しめる」と鮫島さん。1泊の旅行にも使える大きさだが重さは950グラムと「同じサイズの一般的な牛革バッグの半分以下」だそうだ。
ハンドル部分をよく見ると、モザイクのような装飾がある。これが鮫島さんのブランド「アンドゥアメット」のシンボル。日本の伝統工芸である寄せ木細工に着想を得て、多彩なエチオピアの羊の革を重ねて作った。「エチオピアの職人の色彩感覚と日本の伝統工芸の融合」だという。価格は1個10万2900円(税込み)だ。
現地の素材や文化と日本文化の融合は鮫島さんのものづくりの大きなテーマ。もう1つ、こちらも羊革トートの「Gift(ギフト)」は大きなリボンがついている。「日本の着物の帯結びにインスピレーションを得たデザイン」だ。価格は9万1350円(税込み)となっている。
ものを作ること、絵を描くことが好きで現代美術を専攻。学生時代、起業やビジネス、数字には「全く興味がなかった」。アーティストでは生活するのが難しそうだとデザイナーの道を選び、国内の化粧品メーカーに就職した。小さな会社で、商品の企画から価格設定まで任された。
自分は"きれいなゴミ"をつくっているだけかも……
「最初は楽しかった」。若い女性向けに、次々に新商品を考える。それが半年後には形となり、ドラッグストアや雑貨店に並び、「かわいい」と言われ、売れていく。その繰り返しの中で、「自分は何をやっているんだろう」という疑問が膨らんでいった。
価格は1個1000円くらい。1シーズンの使い捨て商品を、季節ごとに何十、何百と送り出す。例えば口紅なら、ふつう3カ月で使い切ることはない。そうした使いかけの商品を捨てさせるために、色や形を変え新商品をどんどん出す。売れ残りの商品も、もちろんゴミになる。
すでに10個の口紅を持っている人に、11個目の口紅を売る仕事。展示会に行けば、業界全体では無数の新商品が並んでいる。「自分は『きれいなゴミ』を作っているだけじゃないか」。仕事への自信がなくなっていった。
しかし「流れるプールと一緒」で、会社に身を置く限り、1人だけ逆方向に泳ぐことはできない。もんもんとした日々を過ごす中で、青年海外協力隊に関心が向いた。求められる技能の中に「デザイナー」があった。求めている国は「エチオピア」。予備知識はなかったが、思い切って飛び込んだ。「途上国のために何かしたいというよりも、今のものづくりに疑問を感じ、あるべきものづくりの姿を模索したかった。それが私の出発点なんです」。派遣先は政府の観光関連の団体だ。
しかしここでも壁にぶつかる。そもそもは、工芸品を作るクラフトセンターの「デザイン室」に籍を置き、外国人に売れるようなセンスのいいお土産を開発する手助けをする、という触れ込みだった。
アフリカの「援助慣れ」に戸惑う
しかし現実は違った。「デザイン室」といっても、主な業務はホテルや病院など建築デザイン。腕を振るう余地がなかった。しかも先方の人々は、いわゆる「援助慣れ」していた。期待しているのは、例えば「デザインに必要な品ということで、パソコンを買ってくれないか」。工芸品のデザインを提案しても、受け取ってはくれても、形になる可能性はなかった。
「悩んで、覚悟を決め、会社を辞めて裸一貫で来たのに」。再びもんもんとする日々。研修でタンザニアに行き、工芸品のレベルの高さに驚く。同じアフリカなのに。「エチオピアの可能性を、自分でリサーチしよう」。派遣先の政府系団体に出勤するのはやめ、街に出て、どんどん人と会った。経費はすべて自腹だ。仕事熱心で、何か新しい事をしたい、この国を良くしたいと思うプライベートセクター(民間)の人々に知り合いが増えていく。
そうした人たちと、さまざまな企画を立て、実現していった。例えばファッションショー。鮫島さんがエチオピアで得たインスピレーションを、エチオピアの素材だけで形にし、服に仕立てた。「大した謝礼はあげられない」と最初に言ったにもかかわらず、多くの人が協力してくれた。
ものづくりの楽しさに目覚める若者たち
「エチオピアでは新しいアートやデザインに触れる機会は少ない。ヒロコと一緒に新しいものをつくっていると、ワクワクするんだ」。そう言われた。それを聞いて、はっと気づいた。
自分もものづくりが好きなんだ。だからもんもんとしても離れられなかったんだ。わくわくしながらものをつくりたい。そして、それを日本に届け、受け入れられたら、エチオピアも、日本も、自分もハッピーじゃないか。かつての「捨てられる化粧品」とは正反対だ。こういうものづくりが、私の探していたものだ――。
エチオピアに赴任していたのが2002年から04年まで。ただし最初の半年は「もんもんとしていた」ので、実質1年強だ。このうち5カ月をファッションショーに費やした。05年にはガーナに場所を移し、フェアトレード商品の開発を指導した。少しデザインの工夫を入れると、それまで二束三文だった彼らの工芸品が、外国人に高く売れるようになる。最初は遅刻者も多かった現地の若者たちの目の色が、それによって変わっていった。
高級ブランドに勤め、起業に備える
援助よりもビジネスのチャンスが必要なんだ。そう感じた。「援助が必要な人も、もちろんいる。しかしエチオピアでもガーナでも、現地の人の8割か9割は、仕事や職場があれば働ける人たちなんです」。彼らのビジネスをつくろう。そのために起業しようか。そう思いながら帰国した。
しかし自分はデザインしかできない。起業となれば、お金を集め、人を動かし、物流を整えなければいけない。今の自分にはできないことばかりだ。「これじゃダメだ。ビジネスを身につけないと」。フランス系の高級ブランドの日本オフィスに、デザイナーではなくマーケティング担当として就職した。
5年間働くうちに、苦手だった数字の扱いに慣れた。トップブランドがその地位を守るために何をしているのかも分かってきた。「ここに入る前は、ブランドというものに興味がなくて。ロゴがつくだけでバッグが1つ何十万円って、なぜなんだろう、と。虚飾のため、くらいに思っていたんです」。実はその裏で、品質や魅力を高めるための小さな努力を積み重ねていると知った。
「虚飾ではなく、こうしたブランドビジネスこそがエシカル(倫理的)だ」と分かった。「きれいなゴミをつくる」仕事とは対極の、長く愛されるものをつくる仕事。寿命があるのに捨てられるものではなく、壊れても修理して使いたいもの。
生産過程も美しくありたい
ブランドが価値を持ち続けるためには、創業者が哲学を持ち、その哲学を100年伝えることも大事。こうした経験と気づきは、自分の会社とブランドにも生かす。
現在商品は8種類。鮫島さんがデザインし、日本でベテラン職人が型を作り、現地で生産する。自社工房で働く工員は10人。価格では中国などの大量生産品には勝てない。流行に乗ったデザインではなく、個性でファンを増やす。
商品だけではなく「生産過程も美しく」ありたい。そう考える。革は食肉産業の副産物として生まれるものだけを使う。素材を作る取引先の工場も、排水の浄化システムを備え、きちんと稼働しているかどうか、自分の目で確かめた。
これまでエチオピアは、いい革がありながら、素材のまま輸出してきた。アンドゥアメットは現地で付加価値を高めて輸出する。来年から日本の職人が現地の工房に入り、より高度な段階まで手がけられるよう指導する予定だ。「最貧国の1つから、スーパーブランドが作れたらかっこいいんじゃないか」。そう考えている。
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