――戦争中のシーンと現代のシーンは、平行して撮影したんですか?
まず現代をまとめて撮って、その後に戦争中のシーンを撮影しました。そして最後にラストシーンを撮ったんです。
だから映画が完成したときは2種類の映画を作った感じがしました。ベテラン俳優さんと真剣勝負した映画と、VFXを多用した映画。実際の作品はそれが交互に出てくるわけですが。
戦争中のパートを撮り始めたときはふしぎな気持ちでした。ずっと現代のシーンを撮っていましたからね。いろいろな人を訪ね歩くロードムービーを撮っている気分になっていたので、「ああ、これ、戦争の映画だったんだ」って(笑)。
そして最後に撮ったのは現代のシーンだから、タイムトラベルしてきたような気分ですよ。撮影は全体で3か月だったんですが、3か月で60年間を行き来した気持ちでした。
――剣豪に手合わせを願った現代シーンとは一変して、戦争中のシーンは山崎監督がお得意のVFXが多用される世界です。昔から作りたかった戦争映画ですから、思う存分やれたのでは?
いえ、今回の映画はいろいろな戦場を描くので、予算の管理が大変でした。
空母の上だけで終わるお話だったら、空母を作ってしまえばいいんです。ラバウルだけを舞台にしたお話ならそこに注力すればいい。でも、この映画には真珠湾も出てくるし、ミッドウェーも出てくる。沖縄の戦いも、特攻も出てくる。舞台がたくさんあるので、限られた予算で、それぞれの舞台を成立させなくてはいけないんです。
――今はすべてVFXで作れてしまうようなイメージがあります。
とんでもない。役者さんと一緒にうつるところは、コンピュータグラフィックス(CG)より本物のほうが、やっぱり迫力が出るんです。役者さんにしても、手に触れるところは実物のほうが演じやすい。セオリーは「カメラから近いものは実物にして、遠いものはCGにする」。ですが予算は限られている。そこで求められているのは「とんち力」なんですよ。
――とんち力?
たとえば、宮部と彼のライバルである景浦が乗っていた21型零戦は、実機を1機しか作りませんでした。2人それぞれの零戦があるように、零戦の左右で塗装を塗り分けたんです。片側からみたら宮部の零戦なんだけど、反対側からみると景浦の零戦にみえる。そうやって節約していったんです。
一方で譲れないラインもあります。ラバウルのシーンは、どうしても南の島で撮りたかった。生えている植物も、鳴いている虫の声も、太陽光線の角度も違いますから。
結局、奄美大島まで零戦を持っていきました。分解してトラック何台分にも分けて、それをさらにフェリーに乗せて運んだんです。すごいお金が掛かりましたけど、そこは絶対に譲れないところでした。
どこを実物で撮るか、どこをCGで後から作るか。VFXはその組み合わせを考えるパズルなんです。
(第2回は14日に掲載予定です)