みなさん、心から尊敬できる先輩はいらっしゃいますか? 幸せなことに、私は何人もの素晴らしい「師」に出会うことができました。広い視野を持ち、私を含めた選手一人ひとりの力を引き出してチームを勝利に導いてくれる。さらには、球界の未来までを明確にイメージしている。そんな真のリーダーに恵まれたことを、私は心から感謝しています。
1982年、西武に入団したときの監督でもあった広岡達朗さんがその1人です。今でも広岡さんに会うと、直立不動になってしまうほど緊張します。
入団した当時の練習は、本当に厳しいものでした。昨今はやりの育成というような甘っちょろい内容ではなく、まさにサバイバルと言ってもいいような猛特訓でした。
朝は9時半から練習を始めますが、「ウオーミングアップ」と称してこなしたのが100メートルダッシュです。それも実に100本! うんざりしたのは言うまでもありません。その後もトスバッティング(パ・リーグは指名打者制なので打席には立たないのですが……)、投手と内野守備陣との連係プレー、バントシフトの練習と、全体練習だけで午後2時すぎまで徹底的に野球の基本動作をたたき込まれました。
高校生ルーキーだった私は、文字通りグラウンドの土にまみれる日々。ファーストへのカバーリング、ピッチャーゴロを処理してホームに投げる。次はセカンドへ、サードへ。気がつくとこうした守備練習だけで2時間が過ぎていたものです。
広岡さんには「ファーストへのカバーリングは目をつぶってでもできるようにしろ」といわれていました。「そんなこと、本当にできるようになるのか?」と思ったこともあったのですが、毎日、毎日練習していると、いつの間にか体が勝手にボールに反応し、一塁ベースを見なくても踏めるようになっていました。
野球の技術とは頭で理解するものでなく、体に染み込ませるものなのだということが、その時初めてわかりました。投手が打たれて失点することや、逆に打者が全く打てずに負けることはよくありますが、こうした投手と内野の連係プレーという基本動作によるミスこそが負けにつながってしまうということを、広岡さんからたたき込まれました。