「私の筆を作っている職人さんは、ひょっとして女の方では?」という突っ込みに対し、私の担当者は驚きを隠せなかったらしい。あくまで勘だった。「そっと強い」感じと強さ、繊細さ、しなやかさを兼ね備えた筆はたぶん、男の業ではないな……。そう思っただけだ。
入魂の筆が暗示する日本の危機
果たせるかな、製作者は女性の筆職人として初めて、国の伝統工芸士に認定された碓井佐千江さんだった。碓井さんには手島、上松両先生のような達人の筆を仕立てる上での心構えや苦労談をたくさん、うかがった。
「うるさい書家がいなくなっちゃってねえ。昭和の先生はみんな、うるさかったよ。そういう書家がいて、私は『あの先生に頼まれたんだから』って、何日も徹夜してがんばってきたのよ」「そういう先生が私の作った筆で書いた作品を見た時は、一番うれしい」
「うるさい」とはもちろん、単に腕の善しあしではなく、筆にこだわり頓着するというニュアンスだろう。私もまだまだ、うるさくならなければと冷や汗をかく。
碓井さんは筆職人の二代目。幼少より気がつけば何の疑いもなく、親の袂(たもと)で手伝いながら筆をこしらえていたという。70年もの歳月を筆作りとともに歩み、「筆の匠」と呼ばれるようになった。
職人による伝統工芸品だから、同じように見えても同じ物はこの世に2つとない。また使うほどに書き手の手癖に合わせ、さらに研がれていくものである。私は気に入った筆に出合うと7本、同じ物をそろえる癖がある。一度使ったら筆軸の奥底まで完璧に乾かし、次に使うのが理想とされるため、1週間7本のシフト制を敷くためである。同じ筆、同じ職人の手とはいえ、個性は全く違うからてこずる半面、まるで命ある生き物を扱うような気がして毎回使うたび、新鮮さと面白みを覚える。
私は毎日5時間、碓井さんの筆と過ごしている。碓井さんの筆を通し、空海や王羲之らの能筆を吸い込み、吐き出している。毎日毎日、この匠(たくみ)の業と闘い、戯れ、時空を超えた聞こえず、見えずの「特殊な会話」をしながら、さらに研ぎ澄まされた「まだ見ぬ新しい筆」を探し求めている。
テレビの取材中、普段あまり主張することのない碓井さんが笑みを浮かべつつも、ぼそっと言った。「今の人は『点』で仕事はできるんだけどね、『線』ではできないの」「時間がかかることだから、なかなか続かないのよねえ」「伝承、伝承って言われても簡単には伝えられないから、どうしたものか……」「困ったものねえ、いつか筆を作る人がいなくなっちゃうわね」
書家や筆職人、伝統芸に関わる者に限った話だろうか? そうではない。日本全体の問題という気がする。
何でも「安く早く」が求められる。簡単に「侍」とか言われる。疑似体験、代用品、模造品で何でも済ませる。日本人は手間暇かけ、ゆっくり「寝かす」ことの価値を忘れてしまったのか? 入魂の筆が私に語りかける世界は、書道の枠内には到底、収まらない。
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