「水彩画 みづゑの魅力 明治から現代まで」展

2013/5/25

小中学生のころ、水彩画セットを抱えて外で写生をした経験はたいていの日本人が持っているのではないだろうか。それほど身近な画材にもかかわらず、その歴史は一般的にまだまだ知られていないように思う。

たとえば、明治期に大流行した水彩画は、画家たちを旅へと誘い、戸外での制作を促した。彼らは自ら道を切り開き、穂高岳や尾瀬沼、十和田湖などの観光地を見いだす。水彩画はいわば“ディスカバー・ジャパン”の先駆けだったのである。平塚市美術館で開催中の「水彩画 みづゑの魅力 明治から現代まで」はこうした日本の水彩画の歩みを振り返りつつ、現代にいたる多彩な表現を紹介する展覧会だ(6月16日まで)。

幕末に、油彩画とほぼ時を同じくして日本にもたらされた水彩画は明治半ば以降になって広く普及。これには2つの要因があったという。ひとつはアルフレッド・イースト、ジョン・ヴァーレー、アルフレッド・パーソンズという3人のイギリス人水彩画家の来日。そして画家の大下藤次郎が書いた「水彩画の栞」という入門書の刊行である。

イギリスの画家たちは精力的に全国を歩き、日本の村や庶民の暮らしに目を向けた。それは「いわゆる名所絵になじみ、実景を見て描くという習慣がなかった日本人画家にとっては、強烈な刺激だったのではないか」と同館館長代理の土方明司氏は話す。日本の自然の特質を解説し、15刷という驚異的なベストセラーになる志賀重昂の「日本風景論」が出版されたのは明治27年(1894年)のこと。日本らしさを模索する「時代のニーズ」(土方氏)にも応えて、水彩画は一挙に広がりを見せた。

水彩への取り組みにも、それぞれの画家の個性が見え隠れするようでおもしろい。森を行く大原女の白手拭いが鮮やかな浅井忠の「秋林」。緻密な写生にもとづいた絵というよりは、晩秋の情緒を即興的に切り取ったような印象を受ける。萬鉄五郎の「漁村の朝」はイラスト風の軽妙なタッチが絶妙。萬といえば名画「裸体画」に見られる強烈な色彩と奔放な造形が特徴だが、同じ画家が描いたとは思えないほどだ。岸田劉生は、水彩が油彩の大作に比べると「シンとした深い重い味」に欠けると言いつつ、「新鮮な自由な大胆な強い味」が魅力だと批評している。

中西利雄、小出楢重らのように油彩の味わいを水彩で表現した画家もいたが、岸田が指摘したように、水彩は油彩画より格下に見られてきたことは確かだ。ところが現代になって、そんな風潮にも変化が現れてきたようである。「別段水彩にそれ程の思い入れは無い」とカタログに記したのは、洛中洛外図や合戦画などの形式を用いて現代風俗を細密に描く山口晃。恐らく山口にとって水彩は数多くある表現手段のひとつにすぎなかった。水彩を使ってみたのは、油彩では締め切りに間に合わないという事情からだそうだ。一方、北村佳奈は色が混じったりにじんだりする水彩は「自分の意志以外の自然のパワーが加わったりする所がとても素敵」と書く。若い画家たちはもはや、油彩は本画、水彩は下絵というようなとらえ方はしていない。透明感や即興性が好まれる現代らしい傾向ともいえ、水彩の奥深さと可能性を感じさせられた。

(文化部 窪田直子)