自然体・三池崇史の映画魂 アクション大作「藁の楯」
カンヌ映画祭リポート2013(8)
横浜放送映画専門学院(現日本映画大学)出身の三池崇史にとって、同校の創設者でパルムドールを2度受賞した今村昌平は師にあたる。20日の記者会見で師に学んだことについて問われた三池はこう答えた。
「自分にできることを自分らしくやればいいんじゃないか。何かをまねたり、自分にないものを求めたりするんじゃなくて、自分にあるものを見つめて撮っていく。映画は『自分は違うんだ』ということを表現するための道具ではない。自然に表現していけば、そこに自然と違いがでてくる。それこそが個性だ、自分の個性なんてことはあまり意識しないでやるべきだ、ということを学んだ」
三池はいつも自然体である。だから、どんなジャンルの映画でも撮れるし、どんなジャンルの映画を撮っても、三池の個性ははっきり出ている。ヤクザ映画、ホラー、ヒーローもの、ミュージカル、時代劇、西部劇、学園もの……。おそろしく多作な作家だが、どんな映画にも三池の刻印がある。この日公式上映された「藁の楯」は刑事もので、スケールの大きなアクション大作だ。
連続幼女殺人犯(藤原竜也)を福岡から東京へ護送する任務を負わされた警視庁の2人のSP(大沢たかお、松嶋菜々子)の物語。孫を殺された経済界の大物が犯人殺害に巨額の懸賞金をかけたため、警察内部を含むおよそあらゆる日本人が犯人の命を狙う。周囲の誰もが敵となり得る状況下、2人は凶悪犯を守りながら、列島を縦断する。
三池映画の特色の一つは、焦点が人間に絞られていることだ。「映画のテーマというのは、登場人物が抱えているテーマとさほど変わらない。人間さえ描いていれば、自然にその人間が抱えている問題が出てくる。これは確かに警察官と犯罪者の映画ではあるが、彼らにも親があり、子があり、日常がある。それをシンプルに描いていく。その結果、縦社会の義理とか愛情とか憎しみとか解決できない問題とかが自然と浮き彫りになっていく」
もう一つの特色は、徹頭徹尾、映像で語り切ることだ。殺人現場の青々とした草、高速道路を埋め尽くすパトカー、スクラムを組んで押し寄せる機動隊の楯。今回はとりわけアクションシーンで妥協しなかった。新幹線のシーンは日本で撮影許可が下りなかったために、のぞみと同型の日本製車両が走る台湾の高速鉄道で撮った。
カルト映画作家として欧州で脚光を浴びた三池だが、近年は「十三人の刺客」が2010年のベネチア、「一命」が11年のカンヌと、3大映画祭のコンペへの出品が続く。
ただ「藁の楯」が選ばれたことについて、三池は「正直、意外だった」と告白する。コンペ向きの作品とは思えなかったからだ。「そう率直に主催者に投げかけたら、そんなことないよと言われた」と笑う。「映画は完成した以上、見る人によって発見されるもの。賛否両論巻き起こればいい」と腹をくくった。
00年以降、日本映画の海外映画祭への進出は復調している。三池は「ぼくの作品は日本の映画だから選ばれたわけではない。逆に我々日本で映画を作っている人間は日本映画という感覚が強すぎる。日本映画を意識する必要はないんじゃないか」と語る。
日本で映画を作っていると、どうしても「日本の客に喜んでもらえる題材、演出、作風になっていく」。しかし「海外の人がどう見るかというのはコントロールできない。ひとつの作品として評価される」。「日本人はアピールするのがそううまい方ではない」と考える三池が選んだのは「そこに神経を使うより、自分たちが作れるものを、ただただ真剣に作っていく」という道だ。
アルチザン(職人)的ともいえるが、そこにしっかりと作家の刻印が押されている。「広く理解してもらうためには、狭く自分の中にあるものを突き詰める。そうすると、まったく違う文化なのに、芯にあるものに共感してもらえる。それが映画の強さだと思う」。上映後に記者たちに語った言葉に、三池の映画魂が垣間見えた。
翌朝の新聞にはさっそく辛口の評がでた。「最もできの悪い支離滅裂な果てしないスリラーでパルムドールから脱落」(フィガロ紙)、「偉大なホークス映画のように紹介されたが失望」(リベラシオン紙)。そんな酷評と絶賛に二分されることも、初期作品以来の三池映画らしさなのである。
(カンヌ=編集委員 古賀重樹)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。