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ダイレクトメッセージ

「オレの言う通りやれ」への反抗 野球評論家 工藤公康

2013/5/21

 本音を言いましょう。プロ球界に入ったころの私は、球のスピード、筋力、投球技術のいずれをみても実力は一番下の方でした。

球速、技術、筋力いずれも「一番下の方」だったという投手がプロで大成したわけは……

 カーブを武器に名古屋電気高(現愛工大名電高)3年だった1981年、夏の甲子園でノーヒットノーランを達成(2回戦の長崎西高戦)しました。その翌年に西武に入団したのですが、私にとって最も自信があった球を、プロの先輩方はポコポコとスタンドに打ち込んでいきました。

 高校時代には、あのカーブで内野の間を抜かれることはあっても、外野に飛ばされることは、まずありませんでした。ぼうぜんとする私に先輩は「おまえ、いいカーブ投げるじゃないか」と声をかけてくれたのですが、複雑な気持ちでした……。

 その後、29年間にわたりプレーすることができましたが、そのころの私には、自分の長い野球人生は想像すらできませんでした。

 当時の西武の練習は「投げろ」「走れ」がほぼすべてでした。ウオーミングアップも含めれば連日20キロは走ったでしょうか。投球練習も200球を越えた日もありました。そんな過酷な日々が絶対的な体力を養ってくれたのですが、私はただメニューをこなすだけで精いっぱいでした。

 1軍に登録されても、左のワンポイントリリーフとしてどの場面で投げるのかもわからないまま、ブルペンで準備を続ける毎日。試合のマウンドには立たないのに、ブルペンにこもって100球以上投げた日もありました。

 プロの打球の速さ、塁間を駆け抜ける速度、あらゆる面で次元の違いを感じていた私は、漠然とした不安を抱えたものです。「たぶん3~5年目ぐらいにトレードに出されるだろうな。その後1年ぐらいで消えていくのかな」と。

 そんな私がなぜ生き残ることができたのでしょうか?

 答えがあるとしたら、それは探求心だと思っています。それも反骨精神を伴った探求心です。

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