綿ほぐしながら酒を一杯 糸紡ぎバーにはまる人々
都内に登場 会社帰りに
平日の夜9時すぎ。東急田園都市線用賀駅から徒歩5分の「Tokyo Cotton Village(トウキョウコットンヴィレッジ)」に会社帰りの常連客が次々と現れ、カウンター席が埋まった。ビールやカクテルを飲みながらしばし雑談をすると、やおら綿を手で紡ぎ始めた。みな黙々と手を動かし、店内にはBGMだけが静かに流れる。
店主の冨沢拓也さん(44)が環境関連のイベントで綿と出合ったのは6年前。かつて日本は綿布の輸出量が世界一だったこともあるが「今は綿栽培が絶滅寸前と知り、守りたいと思った」。2008年から畑で綿花を栽培、収穫、糸にして作品にする活動に取り組む。
コーヒー500円・生ビール750円、綿は無料
「国産綿に触れ、手紡ぎの楽しさを体験できる拠点がほしい」と店を設けた。コーヒー(500円)や生ビール(750円)などを注文すれば綿などの材料費は無料だ。
昭和初期に使われた「綿繰り機」に綿花を投入、取っ手を回すと種を取り除き、ローラーから綿だけが送り出される。羊毛用のブラシを使いふわふわの綿にする。
次に綿を親指と人さし指でつまんでより、中指と薬指で挟んでねじれを止める。よっては止め、よっては止めを繰り返す。手を離せばよりが戻ってしまうので注意が必要だ。糸状にしてコマに巻き付け、コマの軸を回して紡ぐ。綿糸にすれば、織ったり編んだりしてコースターやミサンガなどができる。
常連客に手紡ぎの魅力を聞いてみた。女性会社員(30)は結婚する友人のために仲間と糸を紡ぎ、ランチョンマットを2枚作った。「何も考えずにただ黙々とやるって気持ちいいですよ」
「何よりふわふわの感触が最高」と話すのは板垣千夏さん(30)。昨年郷里の親に種を送って育ててもらった綿が収穫できたので「糸にしてコースターを作り、親にプレゼントする」。谷川和大さん(42)は「不思議と飽きないし、心をリセットできる大切な時間です」。店内には綿が醸し出すふわっとした温かな時間がいつも流れている。
記者も挑戦!Tシャツ作りも夢じゃないかも
常連客たちがはまった理由を確かめるべく、記者も試してみた。
まずは綿花をひとつかみ。床に座って綿繰り機を固定し、取っ手をぐるぐる回すと2本のローラーが回転する。この間に綿花を少しずつ挟み込むと、すっと綿だけがローラーの奥に送り出され、白い産毛に包まれた種だけがぽとりと落ちる。これが実に気持ちいい!
取っ手を回す速度や綿繰り機の部品の締め具合を調節。色々試しているうちに気がつくと1時間が過ぎていた。
大きなブラシを両手に持ち、綿を挟んで左右に引っ張るようにとかすと綿がふわふわに。綿を左手に持ち、右手の親指と人さし指で一部をつまみクルリとよると小さなこよりができる。中指と薬指で挟んでねじれを止めたら再びよって止め、よって止め……。い、痛い。普段使わない動きに右手指がつりそうになる。
指をもみながら作業を繰り返すうちに30センチほどの糸状に。これを割り箸と段ボールで作ったコマに巻き取ると作業は格段に楽になった。中指と薬指でよりを止めておく必要がなくなるからで、箸を回すだけでドンドン紡げる。コマが回る姿もかわいらしい。夢中になるのも納得だ。
「綿のふわふわした感触はいやしにつながるし、紡ぐ作業は誰でもできる作業療法的な側面もある。日常生活の忙しさや悩みから少し離れ、気持ちを切り替えられるのではないか」(自治医科大学の精神科医、西多昌規氏)。やろうと思えばTシャツだって夢じゃないかも。グラスを傾けながら気長に続ける緩さも悪くない。
(関口圭)
[日経MJ2013年5月10日付]
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