ノルウェーのレイフ・オヴェ・アンスネス(43)、英国のポール・ルイス(40)、ルクセンブルクのフランチェスコ・トリスターノ(32)。旬のヨーロッパ人男性ピアニストが今春も相次ぎ日本を訪れ、充実の演奏を繰り広げた。
ベートーベンと向き合うアンスネス
いずれもドイツ、フランス、ロシアなどピアノ音楽の中心地と異なる文化圏の出身で、派手な国際コンクール歴もなければ、ビジュアルなど音楽に関係ない要素を売り物にするわけでもない。誰を真似することなく自身の技を磨き、古典名曲にも明確な個性を刻印することで一歩ずつ、中心に躍り出た。
アンスネスが最初に世界的注目を集めたのは1992年2月。ベルリンのコンツェルトハウスで母国ノルウェーの大作曲家、グリーグの協奏曲をネーメ・ヤルヴィの指揮で弾き、バイオリンのムター、ピアノのキーシンに続く第2次世界大戦後3番目に若い独奏者として、ベルリン・デビューを成功させた晩だった。翌年にはグリーグ生誕150周年記念演奏会の独奏者に選ばれ、同郷のベルゲン・フィルとともに日本を初めて訪れた。以来20年。カーネギーホール(約2800席)をソロで満員にできるビルトーゾ(名手)の座へ、すでに最短距離で到達している。
日本では、なかなか人気が出なかった。田舎町カルモイで生まれ育ち、亡命チェコ人の教師に師事。デビューCDもチェコの作曲家、ヤナーチェクのピアノ曲集と渋い。いくつかの入賞歴はあるものの、大規模な国際コンクールは受ける前に軌道に乗った。風貌さわやかでも、「イケメン」と騒がれるタイプではない。演奏は隅々まで磨き抜かれ、燃焼度も高い半面、自我を強烈に出すよりは作品の下に自己を置き、楽曲に自然に語らせる。いわば玄人好みの芸風のため、何事にもレッテルを張りたがる日本の聴衆の網には、かかりにくかった。
世界一流のオーケストラと来日を重ね、海外での高い評価も伝わり、日本での位置づけも10年以上の時差を経て欧米に追いついた。2012~16年には「The Beethoven Journey(ベートーベンへの旅)」の企画に取り組み、協奏曲を軸に全世界55都市で150回以上の演奏会を予定。日本でも今年2月、エサ・ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団のツアーに同行して協奏曲第4番を弾いた。さらにマーラー・チェンバー・オーケストラと指揮者なしで共演した第1番&3番のCDをソニーへの移籍第1弾(SICC 20128)として発売し、ジャーニーの幕開けとした。来日中は「バイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》」も諏訪内晶子との共演で、初めて実演にかけた。