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「幻の国語辞典構想」全容明らかに 記録集が完成

2013/4/23

「わたし」は江戸時代に使われ始め、電報は明治時代「かける」ものだった――。こうした日本語の変遷を網羅する国家的な大辞典作りの構想が、かつて進められたことがある。現代語の用例だけで300万件の規模があり、100年以上かかるとされた大事業は行政改革などのあおりを受け、幻に終わった。こうした試みをまとめた記録集がこのほど刊行され、遠大な挑戦の歴史が明らかになった。

国家的辞典は3度目の挫折

国立国語研究所「日本大語誌」構想の記録

「オックスフォード英語辞典」「フランス語宝典」など、海外では大規模で権威のある辞典が編まれている。日本の場合、辞典の編さんは常に個人や出版社の力によるところが大きく、大辞典が完成すれば初の公的辞典となるはずだった。

日本の国家的国語辞典作りは頓挫の連続だった。最初は、明治政府が主導し企画された「語彙」。1884年に「ア」の項から「エ」の項まで13年かかって刊行したところで、あまりの作業量の膨大さなどから中断した。

2度目は、近代国語辞典の祖ともいわれる「言海」だ。国語学者の大槻文彦が当時の文部省の命を受け作ったが、出版されず、やむなく1889年から1891年にかけて4分冊にして自費出版したという経緯がある。

そして、「三度目の正直」となるはずのプロジェクトは、法律によって設置されている国立国語研究所が、その目的の1つである「歴史的国語辞典の編集」事業として、林大所長(当時)が推進したものだった。

研究所では1977年に発足させた国語辞典編集準備委員会で、上代(奈良時代)から現代までの日本語の変化の足跡を、たどれる限り収集して整理する用例辞典「日本大語誌」の編集を計画。1979年に辞典編集準備室を置き、現代語の用例から順次、採集していくことになった。

時代をさかのぼりながら作業を進め、ゆくゆくは「日本大語誌」をさらに発展させ、日本語のすべての疑問に答えられるデータバンク「日本語語彙館」を構築するという壮大な構想だった。例えば、「自分」を表す一人称代名詞「わたくし」は室町時代ごろから使われていたが、「わたし」が使われ始めたのは江戸時代に入ってから、というような言葉の歴史が用例とともに即座に分かるようになるもくろみだった……。

事業は順調にスタートした

辞典編集準備室は、1901~1950年を現代語の基礎確立期と位置づけ、まず当時の小学校で使われた教科書の用例採集から作業を始めた。

1985年には成果の第1弾として「国定読本用語総覧1」を刊行。「小川」は「こがわ」と読み、電報は現在のように打つのではなく「かける」ものだとした当時の日本語の実態を浮き彫りにした。この総覧を新聞やテレビは「言語史1200年の集成に一歩」「国語を考え直す大きな試み」--などと高らかに報じた。「日本大語誌」完成への期待は大きく高まり、事業は順調に進むかのように見えた。

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