2013/3/20

アトリエからはマークス&スペンサーで手に入れたお気に入りのコーデュロイのズボン数枚のほか、切り刻まれた端切れも発見されている。ベーコンはドア板などに盛った絵の具をこうした布きれでこすり取り、カンバスに押し当てることも試みた。ざらついた質感やかすれて消えかかったような効果を出すためにカシミヤのセーター、リブ編みの靴下やタオル地のガウン、髪をとかすくしやほうきなどを使うこともあったという。こうした創作の跡は「ジョージ・ダイアの三習作」(69年)、「ジョン・エドワーズの肖像のための三習作」(84年)などで人物の顔の一部に見ることができる。

次にロンドンのテートのクリス・スティーブンズ学芸員に、同館所蔵の「三つの人物像と肖像」(75年)を読み解いてもらおう。「1つ2つの筆のストロークで、人間の身体やミステリアスな人生のドラマを表現してしまう天才的な画家」とベーコンを高く評価するスティーブンズ氏。「この人物を見てください」と、画面左端を指さした。

ベーコンは40年代半ば過ぎから、下塗りしていないカンバスやカンバスの裏側を使うようになったという。「この絵も全体的に地が透けて見えそうなほど薄塗りなのに、ここだけがぼてっとしています」。スティーブンズ氏の言葉で人物の首の辺りに目を凝らすと、確かに白い絵の具が付いている。ネクタイのようにも、首に突きつけられたアイスピックのようにも見える。「恐らくすくい取った絵の具をカンバスに向かって投げつけたのでしょう」。ベーコン自身も、絵の具を手のひらにしぼり出して投げつけることがあるとインタビューで明かしたことがある。投げた後、それをスポンジや布きれでふきとることがあることも。白い絵の具の物質感によって男の体から付きだした背骨がより淡く、消えかかっているようにも感じられる。人間という存在の傷つきやすさ、もろさを露呈しているかのように――。さらにスティーブンズ氏はもう1つ、ベーコンが変わった道具をこの絵に使ったことを教えてくれた。2人の人物の頭部を覆う黒い円。これらは、ゴミ缶のふたをカンバスに直接あてて描いたと思われるという。

アトリエの復元プロジェクトにかかわったヒュー・レーン美術館のマルガリータ・カポック博士によると、移設時にはアトリエ内につもったホコリも一緒に箱詰めされた。ベーコンがカンバスに独特の質感を与えるため、指ですくいとったほこりをぬれた絵の具の中にこすりつけたことを知っていたからだ。「この健康的とは言い難い部屋で、ベーコンが長年制作を続けられたのは驚くべきこと」とカポック博士は言う。ほこりまみれの雑然としたアトリエからは、カドミウム・オレンジの顔料が入った29個のビンが見つかった。不透明で彩度が高いことからベーコンが好んで使ったこの絵の具は、強い毒性でも悪名高いのである。

注目記事