◎今度は自宅からプレハブへ移り、制作を始める際のおきて。

→人と会ってはいけない=コンビニとかで知人に出くわしてしまうと、その日の制作は台無しになる

→誰とも口をきいてはならない=携帯電話もオフ

→腹を満たしてはならない=カップ麺やバナナ、「カロリーメイト」など非常食のみ

→布団に寝てはならない=座布団と1枚の毛布で何日も過ごす

→臨書をしてはならない=歴史上の能筆家、過去の先達と全面対決

→良い作品ができるまで、絶対に家へ帰ってはならない。途中で抜け出してはならない=忘れ物は命取り。準備がすべてである

→泣き言をいってはならない=すべては日ごろの自分の甘さ、準備不足に起因する

→寝ようとしてはならない=限界の限界まで書く。限界寸前に、よいものができる

まるでバイオレンス、私の書世界

さあ!

書き始めたらもう、何があろうと止まらない、止まらない。気づいたら10時間以上、何百枚も中腰のまま書き続けている。「何かに取りつかれているのではないか」と、不安にもなる。制作後、私の体を診る主治医は「どうやれば、人間の体はこんなにぼろぼろになれるのか」と、驚くばかりである。少なくとも、立ったり座ったり、スクワットのような動きを一晩に何百回もやっているのは確かだ。

柿沼康二「おまえはだれだ」(2002年)

何時間書いたとか、何枚書いたとか、人に認められたいとか、そんなことが目的ではない。「良い作品を創りたい」。その一心である。良い作品のためなら、何でもやる。完全に精神が肉体の限界を超え、「もう明日なんか無くても、この一瞬をモノにできたら死んでもいい」「世捨て人、最高!」「人でなしで上等」あたりまで突っ走らないと、アートの神様は、こっちを向いてはくださらない。

アートは安定を嫌い、不安定と仲良しだ。時計をわざとずらす。邪魔は徹底的にやっつける。自分に怒り続ける。コーラ、ブラックコーヒー、時にアルコールと、液体をガブガブ体に流し込み、たばこをプカプカ。これが20歳からずうっと続けてきた私の制作儀式、スタイルである。

年齢も年齢なので、こたえるにはこたえる。だが自分の体から出さざるを得ない何か、吐かざるを得ない何かを表現するのがアートなのだから、仕方ない。

書においても、目に見える形や技術で優劣を決めるなら、習字か字書きにとどまる。文字を素材にしつつも、書を形作っていく上での造形感と動態の前後、上下、左右に自分独自の感覚や哲学、思いを織り込んでいくのがアートである。最終的には、どのような文字をかいているかすら忘れ、文字と筆、心が一体になる。

一枚、また一枚、そして何十枚、気がつけば何百枚、何千枚と気の遠くなるような時をかけ、本当の自分自身と出会えるまで、筆を止めることはできない。今この一瞬を生きた証しが目の前に現れるまで……。書は一般的に、静かな世界のように理解されるが、私はまったくそう思わない。

少なくとも私の書世界は、まるでバイオレンスである。やるかやられるか、筆と紙の間で、つねにバトルが繰り広げられている。作家が持つ形而上の理念をいかに形而下の平面に落とし込むか。その闘いはとてつもなく激しく、熱い。

自分の分身といえる作品を創りだすため、私は今も、気絶するまで書き続けている。

柿沼康二氏(かきぬま・こうじ) 書家。5歳より筆を持ち、父の柿沼翠流、手島右卿、上松一条らに師事する。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。高校の書道教師を辞し26歳で渡米。ニューヨークで個展を成功させ、2006~07年にはプリンストン大学特別研究員としてニュージャージー州プリンストンに滞在した。「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統書から特大筆によるパフォーマンスまで、多彩なパフォーマンスを展開する。NHK大河ドラマ「風林火山」や北野武監督の映画「アキレスと亀」など題字も手がける。現在は柿沼事務所代表取締役社長兼所属アーティスト。1970年7月16日、栃木県矢板市生まれ。
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