あと2週間ほどで、個展を開く。
「柿沼康二★★★書の情熱」。(2月27日~3月4日、大阪・阪急うめだ本店9階で)
同じ百貨店で8年ぶり、4度目の大規模な個展を目前に控えた書家とは、いかなるものか?
日本の書道界を「休学」、ニューヨークへ
まず、このタイミングで目をつり上げ、周囲を怒鳴り散らして制作するアーティスト像なんて、テレビドラマじゃあるまいし、今のオイラには当てはまらない……(笑)。何ごとも、準備の段階から勝負が始まっている。そして、勝負の行方もだ。敵は誰? 自分自身である。中でも「過去」。自分の過去といかに闘い、「今」を燃焼させるかに尽きる。
人生で初の個展を開いた場所は、何とニューヨーク。28歳の夏だった。
努力に努力を重ね、何かを手に入れた瞬間に興がさめ、かえって不安にかられる心境をおわかりいただけるだろうか。
25歳の柿沼青年は「書道界の新人賞」といわれる「毎日賞」を受賞。全国に数千人はいる書家団体のメンバーの中でたった7、8人の1人として、横5メートルにも及ぶ超大作を東京都美術館で発表できるコンペを見事勝ち抜き、数々の最年少記録を打ち立てた。飛ぶ鳥を落とす勢いで書道界を駆け上り、業界のサラブレッドのように扱われ始めたのだ。
同時に、書道「業界」というピラミッドとその頂点や、作品が至上であるべき芸術の世界において立身出世のための人間関係、ゴマスリに精を出す政治家のような先輩書家を目の当たりにして、大きな疑問と矛盾を感じ始めていた。今も問い続ける「書は芸術たるか、己は芸術家たるか」という命題に直面した。
そのころ「夢はニューヨークに行き、書を体系化すること」と書かれた新聞記事が、周囲の大きな誤解を招いた。夢を語っただけなのに、どう間違えたのか「いつ、ニューヨークへ行くの?」と質問攻めに遭った。悩んだ末、「それならいっそ、ニューヨークに行ってしまおうではないか」と、思考を逆転させてみた。
教員を辞め、買ったばかりの新車を売りに出し、コンビニエンスストアの夜勤を半年間続けて渡米資金を蓄え、恋人とも別れ……。何で、そこまでしてニューヨークへ行こうと思ったのか、今でも不思議である。お利口ちゃんの書家なら、売り出し中のタイミングでこんなこと、絶対にしない。年に数回ある大手の書道展に不出品を覚悟で渡米するのは、書道界という学校を自分勝手な理由で休学する問題児になることを意味するからだ。