2013/2/16

クローズアップ

リゲティは2001年12月2日、東京都内でインタビューにこたえ、絵画や彫刻など「目に見える芸術」と、「目に見えない空気の振動」である音楽との違いを強調した。

「画商や美術評論家が現物を前にほめ続ければ、巨大なビジネスを即、展開できる。音楽の場合はまず、音符をきちんと音にできる『よい演奏家』を雇う必要がある。うまく奏でられたとしても後々、消えてしまった空気の振動への評価を根気よく、確立しなければならない」

T・ヘル、ピアノ練習曲にめざましい成果

トーマス・ヘル「ピアノのためのエチュード」

ピアノ演奏だけでなく、作曲と音楽理論も修めたトーマス・ヘルはリゲティの「エチュード」全18曲を2008年ころからダルムシュタット(国際現代音楽夏期講習会)やベルリン、バイロイト、バーゼルなど欧州各地で弾き続けてきた。リゲティの後継世代に属するハンガリーの作曲家、ジェルジュ・クルタークは「リゲティの音楽を理解し、解釈し、最高度の演奏技術をもって演奏する特別な才能」と、ヘルを絶賛して惜しまない。2010年11月6日に東京・三軒茶屋の小さな演奏会場、サロン・テッセラで行った全曲演奏会には湯浅譲二、北爪道夫ら日本作曲界の大家も集まり、ヘルの変幻自在、豊かな感興をたたえた演奏に聴き入った。

リゲティは家族の大半をナチスのホロコースト(大量殺りく)で失い、気鋭の作曲家として頭角を現す過程で社会主義政権から「前衛」の烙印(らくいん)を押され、1956年のハンガリー動乱で命からがら「西側」のウィーンへ逃げた。亡命後は電子音楽など前衛の実験にも加わったが、次第に距離を置き、オペラはじめ伝統的な音楽語法に目を向けた。ピアノ独奏のためのエチュード=練習曲という形式も19世紀のチェルニー、ショパン、リストから20世紀初頭のドビュッシー、ラフマニノフ、バルトークへと展開した「伝統」の音楽語法。リゲティは1985年から2001年にかけ3巻18曲の練習曲集を書き続け、音楽史の偉大な伝統を継承するとともに、20世紀後半以降の音楽のさまざまな表現技法を惜しげなくつぎ込んだ。

日本を代表する作曲家の一人、西村朗によれば、リゲティの音楽は「個人の心情吐露や美しいだけの旋律とは一線を画し、肉体のパルスや血流をそのまま音にする。聴き手に有無を言わさず、直接響く強さがある」という。一見、近づきがたい厳しいまなざしの奥に潜む慈悲深い人間性と、過去から現在、未来への透徹した視線。生身のリゲティと向き合った日に覚えた緊張と親しみはそのまま、彼が遺した作品の印象につながる。ヘルが東京公演の翌年、2011年9月26~28日にベルリンで収めたCD(独WERGO=キングインターナショナル KKC-5245)は、全18曲を網羅した最初の録音に当たる。孤高の作曲家の内に秘められた大衆性も余すところなく再現した名演で、「レコード芸術」誌の2月号では評論家2者推薦の「特選盤」に選ばれた。

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「ル・グラン・マカーブル」で声の超絶技巧競うB・ハ