書は「3D」のアート書家 柿沼康二

2013/1/29

ダイレクトメッセージ

漢字の起源といわれる象形文字は、文字よりむしろ、絵である。

もともと自然物をかたどってつくられた絵画的シンボルを大本に進化し、意思を伝えるための言語として何千年もの間、使われてきた。

視覚・造形芸術としての書

象形文字。その名が表す通り、連なる山を描く「△△△」が省略されて「山」、川の流れを示す「~~~」のタテ版が「川」、「目がヨコ」のタテ形が「目」になったのは、容易にご理解いただけるだろう。

今まで生きてきた時間すべてをこめる

漢字は表意文字、平仮名やカタカナ、アルファベットなどの表音文字には形と音があるが、単体に意味はない。漢字は形と音のほか、それぞれに「義(意味)」を加えた3要素を兼ね備えている。簡単にいうと形、音、義の3要素をつかい、時に形と形、時に音と形など様々な組み合わせを重ね、5万種ともいわれる漢字を次から次へと、生み出してきた。

書は絵画とともに、視覚芸術とか造形芸術に分類されることが多い。絵画が第一級の芸術であるのは、周知の事実だろう。書作品にも絵画同様、造形がある。色彩、明暗、空間、粗密、重心、構築性、コンポジション……。多彩な要素を見る人すべての目に平等に映し出したとしても、「書」ともなれば読める、読めないというところから問題が始まり、なかなか「感じる」ふうまでに至らない。個々の解読や認知などの能力には、差異がある。

では、書と絵画の決定的違いは何か?

書は文字を素材として扱い、音楽と同じく、一回性の芸術であることだと思う。

仮に、黒いインクと筆っぽいツールでグシャグシャッと描いた表現が見る人により、文字や漢字のように感じられたとしよう。実際には、それは書ではなく美術の領域。モノクロの抽象芸術といったところだ。漢字や平仮名、カタカナの文字、言葉や文学などをモチーフに描かれていなければ、書とはいえない。

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