書に音を聴く書家 柿沼康二

絶対音感の善しあしを厳密に判定するのは難しい。だが、カラオケの歌が音痴かどうかは、一般の人にもすぐ判別がつく。

絶対書感とは何か

しかしカラオケで上手に歌えたとしても、絶対音感を持ち合わせていたとしても、聴き手の心に残らない音楽はたくさんある。いや、この年になると、心に残る音楽に出会う機会の方がまれである。「うまい」と「良い」では、かなり違うのだ。

では絶対音感ならぬ、「絶対書感」「文字音痴」(いずれも造語)はどうだろう?

皆、はじめから文字音痴、絶対書感など持って生まれはしない。日本では、習字や学書をして、徐々に書感を正すことが一般のたしなみであった。

「音」(柿沼康二筆)

寺子屋における「読み・書き・そろばん」はいまや、「見る・キーボード・電卓」に代わった。人工的につくられた写真植字の字体(フォント)以外すべて「読みづらい文字」と感じ、筆で書かれた場合は楷書以外すべての書風に苦手意識を示す。楷書をほんの少し崩した行書となれば、端(はな)から分からない、読めないと白旗を揚げてしまう人も少なくない。

書家や書道家といっても、ピンキリだ。書壇に属し、しっかり研さんを積む人もいれば、書壇にあっても古典臨書に背を向け、先生のお手本のコピーづくりに一生をささげる人、学校やカルチャーセンターで教員をしながら手堅く学書する人、賞や師範の肩書きを冠に生きる人、メデイアの世界に出たがるタレントみたいな自称書道家、……。いずれも、それぞれの生き方なので「大きなお世話」ではあるが、時として、あまりにひどい筆文字を目にするたび、嘆かわしい思いにかられる。

メディアでゆがんだ文字感覚が披露され、知らず知らずのうちに目や耳から吸収し続けている子どもたち、日本人の未来に強い危惧を覚えるといったら、問題だろうか?

絶対書感を体得する、文字音痴といわれないよう感覚を研ぎ澄ますには、やはり臨書がすべてである。古典を模倣する過程の中に問題を意識し、解決できるかどうかにかかっている。古典から型を吸い、己を吐き出し続けない限り、単なる筆文字は、そう簡単に「書」へと化けてはくれない。

柿沼康二氏(かきぬま・こうじ) 書家。5歳より筆を持ち、父の柿沼翠流、手島右卿、上松一条らに師事する。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。高校の書道教師を辞し26歳で渡米。ニューヨークで個展を成功させ、2006~07年にはプリンストン大学特別研究員としてニュージャージー州プリンストンに滞在した。「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統書から特大筆によるパフォーマンスまで、多彩なパフォーマンスを展開する。NHK大河ドラマ「風林火山」や北野武監督の映画「アキレスと亀」など題字も手がける。現在は柿沼事務所代表取締役社長兼所属アーティスト。1970年7月16日、栃木県矢板市生まれ。
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